風雷某さんの御父さん(以下、Kさんとさせて頂きます)は
17歳で旧帝国陸軍騎兵に志願され、捜索連隊に転科後
94式軽装甲車で中国→ビルマ(現ミャンマー)を転戦されました。
ビルマでは94式が故障廃車となり、英軍から捕獲したM3スチュアートに乗り換え
幾多の激戦をくぐり抜けられました。
さらにその後、満州四平の戦車学校に助教として転属されました。
(校長は占守島で戦死された池田大佐です。司馬遼太郎さんもおられた戦車学校です)
戦後は3年のシベリヤ抑留を経て、日本に無事帰還されました。
今年86歳の御健在でございます。
中央の分隊長旗を持たれている方がKさん(当時22歳・軍曹)です。
左はSさん(当時23歳・一等兵)、右はMさん(当時24歳・上等兵)です。
昭和17年末頃の撮影です。歩兵相手の対戦車戦訓練時のスナップです。
(騎馬連絡下士官のW曹長が30mほど離れた馬上から撮影されました)
この撮影の後、Kさんは満州の戦車学校に転属され、
残る御二人はインパール作戦に従軍されました。
幸いにも御二人とも、あの激戦から無事生還されました。
そんなKさんは風雷某さんに
「ミャンマーでスチュアート戦車に乗っていなかったら、戦死していただろう」
と語られたそうです・・・。
そうなんです。
KさんそしてKさんの御家族にとって、スチュアート戦車は守り神だったのです。
以下は、そのKさんが体験された貴重な戦史の一編でございます・・・。
●エピソード1(
スチュアート同士の戦車戦の御話)
ある時、昼間取り逃がした退却中の敵戦車5両をKさんの所属する
戦車隊5両が追撃し、夜明け前に追い付きました。
敵戦車は砲塔を後ろ向きにして寝込んでいました。
すかさず内1台を炎上させ、1台のエンジン部を撃破しました。
エンジン部撃破は戦車隊の最後尾にいたKさんの戦果です。
しかし、炎で昼間の様な明るさになってしまい、
先頭の小隊長(中尉)車が標的となってしまいました。
徹甲弾2発を受け、中尉は片足を失い、無線士(機銃手)が無線機破裂で
片目を失いました。
ただ幸いにも操縦士は無事だった為、なんとか後退しました。
Kさんは敵2両と隊長車が進路を塞いだ為、追撃不可と判断し
負傷者を収容し、帰還しました。
また戦闘の最中、敵歩兵も地雷のようなものを持って近づいてきました。
Kさんは砲塔上部から南部十四年式拳銃で撃とうとしましたが、
戦意を失いパニックに陥っている敵兵を見て、引き金は引けませんでした。
この戦闘は数分で終わりました。残った敵は逃げてしまいました。
後で確認した所、炎上車輛は残っていましたが、エンジン被弾車は消えていました。
いつの間にか敵が牽引して持ち去ったようでした。
●エピソード2(Kさんが負傷された時の御話)
Kさんがスチュアートの砲塔から敵情視察中の事でした。
敵を発見し、戦車内に退避しようとした時
、
小柄だったKさんは足場を探る隙をつかれて狙撃されました。
跳躍した銃弾が顎に当たり、Kさんは血まみれになりました。
これを見た操縦士はすくんでしまいました。
Kさんは操縦士の気を奮い立たせながら、戦車を後退させ
無事衛生兵に手当てしてもらいました。
●エピソード3(
スチュアート戦車の上部ハッチに関する御話)
ある時、敵の攻撃を回避する為にジグザグ前進中
ジャングルの樹木の枝が上部ハッチを跳ね上げました。
その反動で厚さ30mmのハッチが頭上に倒れかかり、
Kさんは危うく、首の骨を折りそうになりました。
●エピソード4(戦争末期の戦車の性能の御話)
戦争末期にKさんの戦車学校で、内地から到着した一式中戦車の無人試射を実施しました。
すると砲塔が吹き飛んでしまい、皆がその粗製濫造ぶりに呆れました。
またよく見ると、その戦車は鋼板の熱処理が省略されていました。
実戦用ではなく、あくまで訓練用の戦車の扱いでした。
●エピソード5(加藤隼戦闘機隊に加勢(?)の御話)
ビルマでKさんがトラック運転中にホーカーハリケーンの機銃掃射を受けました。
Kさんの同僚がすかさず、分捕り機銃で応戦して、その内の1機を撃墜しました。
他のハリケーンは日本軍の飛行場襲撃に向いました。
しかし、待ち受けていた加藤隼戦闘機隊の隼2〜3機が
このハリケーン編隊5機を全機撃墜しました。
太平洋戦争終結から60年以上の年月が経過し、
当時の記録、そして記憶が薄れつつある今・・・。
Kさんの体験は我々戦争を知らない世代にとって、知らないといけない事実だと思います。
そして、語り継がれていかなければならない体験だと思います。
戦争は愚かな行為です。
そしてその道具としての戦車・・・。
人類の愚かな産物かもしれない戦車ですが、それは人の命を奪う一方
人の命を救った側面も当然あるのです。
スチュアート戦車の御陰で、あの戦争から無事生還されたKさん・・・。
私達の世代は、感謝と敬意の気持ちを決して忘れてはいけません。
私はそう、感じています。
又日頃モデラーとして、プラモデルで兵器に接している私達は
模型として接しているが故に、実像を見失いがちです。
(エピソード3の御話など、到底想像出来ないものです)
そんな私達にとって、戦争を体験された方々の生の証言は、
模型製作時に必ず参考にすべきものだと思います。
そうする事により、私達モデラーは単なるミリタリー好きではなく、
歴史の事実を継承する者として、広く世の中全般に貢献出来るのでは?
私はそう、信じています。
最後に一言・・・。
本コーナー設立のきっかけを、私に与えて下さった風雷某さんとKさん・・・。
本当に有難うございました!
2006.08.29 小春好