10行小説集 第1集 2002.4〜2003.3
「創作談義」の「10行小説大会」に投稿された作品を保存・公開します。 ( ) 内は投稿された年月日です。作品の著作権は作者本人に帰属します。
目次(投稿順) 「クイクイ」 萬 「色彩の憂鬱」 光郎 「その側」 abiko masahiro 「忠犬」 高山錨 「桜」 高山錨 「影」 巽 「別れ」 涼 「赤鬼の太鼓」 橘春月 「幼なじみ」 涼 「インディゴ」 光郎 「桃の花」 涼 「おにいちゃん」 涼 「ふみちゃん」 k.nakanisi 「時計」 abiko masahiro 「苦行」 吉村萬壱 「取材」 k.nakanisi 「百合根子のコンプレックス」 お邪気 「父・母・幸・死」 王琴姫 「死・友・書・生」 王琴姫 「テディベア」 あけのてるは 「言いわけ」 お邪気 「生・初・恋・春」 王琴姫 「ポートレート」 コウ 「スパイ」 k.nakanishi 「消さないで。」 光郎
10行小説大会参加要項
「創作談義」に、10行小説を投稿し、自由に批評しあう。
作品および批評の投稿は、どなたでもご自由に。
投稿作品とわかるように、題名(件名)は、「10行小説 『 タイトル 』」とする。
10行小説は、きっちり10行である必要はない。字数は自由。ただし上限は600字程度までとする。
とりあえずは、一人につき2、3編までとする。
タイトル、内容は自由。ただし、特定の団体・個人を誹謗中傷するものなど、ダメなものは、駄目。
締め切り、大会終了期日などは、とりあえず、なし。
(2002.4.25)
「消さないで。」 光郎
−先生、元気でね。 −元気でね。
卒業生を送り出すと、友子はがらんとした教室を見渡し、一人で掃除を始めた。壁の小さな落書きに目を留める。
ゆみ・さち・あき 2003.3.5 卒業。
少女っぽい字体だった。今朝、式場に入る前に、弓枝たちがペンで書きこんでいたのを思い出す。あんたたち高校卒業するのよ、立つ鳥あとを濁さずでしょ、と注意したのに。手のかかる生徒だった、最後の最後まで。友子はふと遠くを見る目になった。箒を壁に立てかけて教室を出た。階段を上がり、弓枝が二年生のときの教室に入った。壁には、やはり落書きがあった。
ゆみ・さち・ちえ・あき 2002.3.15 無事進級!
一年前の、二年生の終業式の日付けだった。その後中途退学した知恵の名前が、ここには、入っている。友子は、はっとした。一年生のときの教室へ、さらに階段を駆けあがる。探すものはそこにもあった。
ゆみ・さち・ちえ・あき・ちか・ひろこ 2001.3.15 祝進級。卒業まで一緒にガンバル!
弓枝たちにとって、高校生活は、友人を失っていく日々でもあったのだ。今朝注意したときに返ってきた、弓枝のわがままなことばが、違う響きをもってよみがえる。
−先生にはただの落書きでも、わたしらには大事なことなんだ。消さないで。
友子は壁のつたない文字を見つめた。 (2003.3.16)
「スパイ」 k.nakanishi
私が「おはようございます!」と声をかけると、「あ、ボランティアさんだねぇ」と言いながら橋本芳雄さんは鋭い目でにらみつけて来て、ピクピクとほっぺたをふるわせた。今日は機嫌が良いのかな? 私はちょっぴりうれしくなりながら一緒に作業所に入った。
朝十時を回っているので、すでに職員さんや何人かのメンバーたちが来ていて、コーヒーなどを飲みながら談笑している。しばらくして、今日の作業が始まった。何本かのネジを小さな袋に入れてラベルを貼る作業だ。みんなで食卓に腰掛けて一斉にはじめる。こんな作業でもだいたい時給百円くらいにはなる。貴重な収入源だった。私も橋本さんの隣に腰掛けて手伝った。
「これは内緒の話なんだ。……誰にも言っちゃあいけないよ」
作業中に、また橋本さんのうち明け話が始まった。橋本さんはロシアじゃなくてソ連のスパイ
らしい。毎日、本国と秘密の方法で連絡を取っていて大変なんだそうだ。でも、こんな事を言う時は決まって具合が悪いときだ。「橋本さん、最近調子はどう? ちゃんと薬飲んでる?」
「いや、……最近眠れないんだ。それに、薬に頼ってちゃあいけない」(やっぱり!)
「ちゃんと薬を飲まないと、ダメじゃない。来週には旅行もあるし……」来週末には年に一回の旅行がある。一緒に行こうよ。私がそう言うと、橋本さんは、うん、と頷いたあと、また私をに
らみつけて、ほっぺたをピクピクとふるわせた。スパイも、やっぱり旅行は楽しみらしい。 (2003.3.6)
「ポートレート」 コウ
彼女が彼と寝ている間、私は部屋の隅にいた。
港区の小さなワンルームに彼女と私は住んでいた。見栄っ張りな彼女が好きだった。私は毎朝彼女のスーツ姿を確認した。下着姿でダンベルを振り回す彼女も見ていた。彼女と私とはうまくやっていた。
彼は突然やって来た。酔った彼女を肩に抱いていた。彼女はその夜彼と寝た。私は部屋の隅にいた。彼はそれから毎週金曜の夜に私達の部屋を訪れて、彼女と寝た。私からは二人の姿は見えない。ただ彼女の溜め息と彼の優しい言葉が聞こえてくるだけだった。私は、抱かれた次の朝の彼女の白い裸も黙って見ていた。
ある夜いつものように彼女は彼に抱かれていた。彼は言った。
「その姿見につかまってみてよ」
彼女は彼の言う通りに黙って私を両手で掴んだ。彼女の表情がよく見えた。腰を高く上げた彼女を彼は後ろから抱いた。振動で彼女の上半身が揺れた。振動で私が揺れた。私から見える彼女の表情も揺れていた。彼は、自分の顔見ながらするのどう?、と彼女に訊いた。彼女は黙っていた。けれど、その目は私が映す彼女自身を見ていた。彼女が私にしがみ付いた。右頬を私に強く押し付けた。彼女の吐息で私は曇った。彼は彼女の外に出て、ビテイ骨の上に射精した。彼女はようやく目を閉じた。私が彼女を映す。私の中に、彼女がいる。
彼女の両膝が崩れた。バランスを失った私は、彼女に引かれるようにして床へと落ちていった。彼女が倒れて横たわるのが見えた。私は彼女の隣りに並んで倒れた。彼女の横顔を映した。それが最期だった。私の破片が彼女の左頬を縦に切った。切り口からすうっと茶色い血が流れた。血は彼女の口元へ垂れていった。
私は二度と彼女を映せない。これで良い、そう思った。 (2003.2.23)
「生・初・恋・春」 王琴姫
紅梅殿は甘い香りに満ち溢れ、鶯が薄桃色の枝上で春を告げている。
十一歳の私(阿呼・道真の幼名)は、朝から緊張し広廂を言ったり来たりしていた。
今日は父上と共に染殿へ上がり詩歌を読むのだ。父上からは「きちんと拝礼するのだよ、落ち着いて、ゆっくり・・・」と何度も念を押された。
母上は手際良く萌黄色の亀甲花菱文の狩衣を私に着せ、髪の鬢付けを直しながら
「阿呼、檜扇は持ちましたか」と優しく訊ねた。
この所菅原家では立身出世を夢見る若者で、門下生は増える一方らしい。私もいづれは
長男として、父の跡を継がねばならない。
「月夜に梅の花を見る」と、極度の緊張で上擦りながら題を述べた瞬間、私の目の中に美しい女御が飛び込んで来た。胸は高鳴り、見る見る内に顔が紅潮した。
――月の輝くは晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり
憐れぶべし金鏡の転きて 庭上にも玉房の香れることを――
読み終えると同時に、感嘆の声が湧き起こった。
と、その時あの美しい女御・明子(あきらけいこ)様が、楚々と近づき私の手を取った。
「そなたの歌は見事じゃ、これは、褒美の金の指輪です」
麗しい香りに包まれ、柔らかい手に触れた瞬間!私の初恋は永遠となった。 (2003.1.30)
「言いわけ」 お邪気
だって、と彼女は心の中でつぶやく。起こすといけないと思ったんだもの。
ベッドカバーがめくられる冷気と彼の気配を感じたのは、朝に近い時間だった。昨夜、勤務医の彼が患者急変の知らせにあわただしく出かけて行ったのを、気遣いながら眠りについた彼女だ。すぐに目を開け彼の首に腕を回す。抱き締め返してくる冷え切った体が愛
しい。
彼はすぐに眠りにおちた。入れ替わりに起きようか。いや、身動きして起こしたら可哀想だ。それにもう少し体の重みを感じていたい。彼女は再びウトウトし始める。
十時。インタフォンが鳴り響き、ようやく目覚めた彼女は、お互い寝巻きのまま彼と顔を見合わせた。たぶん回覧板よ。何かはおって、私もらってくる。彼が、馬鹿言うな!と目を怒らせた。君は自分の立場が分っていないのか。
結局居留守を決め込んだのちに、彼が呆れ顔で言う。まったく君はのん気だな。冷たい横顔に、彼女がさっきから心の中で繰り返していた、甘い言いわけが砕け散る。恋人気取りは自分の幻想だった。そのことを思い知らされる瞬間だ。
でも、と彼女は唇をかむ。それは彼と私が未来のない関係だからじゃない。逆だ。
君がこんな時間にだらしない格好で応対したりすれば、この僕までご近所に笑われるじゃないか。夫はまだぶつぶつ言っている。 (2003.1.21)
「テディベア」 あけのてるは
車って不思議だ。運転していると、丸ごと自分の本性がでる。
好きなスピードで走らせられないと気分が悪い。下手な運転の奴は殺してやりたい。信号待ちなんか大嫌い。しょっちゅう「バカヤロ
ー!」と叫ぶ……私、女なのにね。
だけど事故は怖い。自分が死ぬのはいい。でも、他人を傷つけたくない。だって、その人の人生まで、とても背負うことなんかできな
いもの。
だから我慢する。前の馬鹿がのろのろしていたために、嫌いな信号にひっかかっても、「まあ、しゃーねえや」と自分に呟く。
「下手糞!」……いつものように前のドライバーに毒づきながらの信号待ち。助手席のテディベアの頭を無意味に撫でる。
不意にわかった。
あの人は、私の頭を撫でた。その瞬間、私は彼のアイを感じた。
今、涙を流しながら笑っている自分がいる。晴れているのにワイパーを動かす。目のなかの霞を晴らそうとするみたいに。
あなたは、私をアイしていたんじゃなかったんだね。徒然に、頭を撫でただけだったんだね。私が今、テディベアにしたみたいにさ。
女って、馬鹿だねえ。
信号が青に変わった。
「バカヤロー!」
自分に毒づきながら、私はアクセルを踏む。
「バカヤロー!」 (2002.12.20)
「死・友・書・生」 王琴姫
銀座の東急ホテルで、奴と三十年振りに再会した。「やあ、元気そうじゃないか」「おお、まあな」奴は恥ずかしそうに答える。「凄い本、書いたもんだ・・・」と俺は賞賛した。「うん・・・」酒を酌み交わす奴の笑顔は、純真無垢でいい男だった。
去年の秋も深まった頃、俺のオフィスに一冊の本が送られて来た。
「皇帝のびっくり箱」遠藤武彦著、そして同封の便箋にはしっかりとした文字で、奴の隘路が語られていた。田舎の進学高校で同級生だったが俺にとっては、親友の類ではなかった。
奴は東京の私立大学へ進学したので、どこかの企業に就職し、家庭を持って幸せに暮らしていると、勝手に推測していた。都会の水が合わなかったのだろうか?深夜トラックの運転手をしながら生計を立て、年老いた母と二人暮らしをしていると言う。長い歳月が奴の肉体も精神も蝕んで、遂には骨髄性白血病に犯されていたとは・・・。
恐る恐る最初の頁を捲ると<イントロダクション>この本を書くに至ったきっかけは、「ロレンツオのオイル」というNHK放送の映画を見た事だ。と書かれ、読み進む内に、ふと俺の名を見つけた。「生まれながらにして、訳の分かる奴・・・」照れと悲しみが胸に込み上げた。涙を落としながら、青い帯を見つめる『極度の自己嫌悪と無気力の狭間で、自分自身へそしてあらゆる人々へ対し、エールを送る渾身を込めた一書』
先日「拝啓・生前は武彦が色々とお世話になり・・・」とお袋さんからハガキが届いた。 (2002.12.14)
「父・母・幸・死」 王琴姫
先代のビーさんが、いつもの様に尻尾をフリフリ玄関を出て行ったのは一年前の暑い夏の朝だった。とうしゃんは小さなスコップを左手に、そして右手には真っ赤なリードを握り締めていた。かあしゃんはまだ夢の中で二人が帰って来ると、瞼を擦りながら布団からガサゴソ起き出しやかんにジャーッと水を入れ火を点ける。マンネリメニューの朝食を大した会話も無く、三人は黙々と食べる。そんな筈だった・・・
突然、ドッドッドッと階段の音が響いた。とうしゃんは床にへたり込み嗚咽しながら言った。「ビーが死んだ」「はあっ?」「電車に吹っ飛ばされた」「えっ、嘘」かあしゃんは泣き崩れながら、とうしゃんの頭を掻き毟った。「ビーに会いたいよ。何処にいるんよ。連れて来てよ。」
「そ、そんなら証拠に、耳と尻尾切って来て―」
服を引き千切られながらとうしゃんは叫んだ。「ビーの大好きな保久良山へ埋めて来たんや、お前にはとても見せられへんかった。」
桜の頃、僕はやって来た。毎朝仏壇の前に座ってマンマンさせられ、かあしゃんは念仏の様に「アンタは幸せやねえ?」と言う。幸せって何?
僕には言葉は無く、ただ尻尾を振るだけだ。勿論散歩は超ー大好き。
今日も出掛けにかあしゃんの声がする「アンタも殺されなや!」 (2002.11.14)
「百合根子のコンプレックス」 お邪気
暴言に近い言葉を聞くことが、よくある。百合根子の人間そのものを、否定するような内容が多い。そのまま受け入れれば、即コンプレックスとして定着しそうだ。
「存在そのものがわがまま。空気が読めない。年齢のわりに性格に問題が多い。もっと大人になりなさい」と、以前尊敬していた自称芸術家に言われた。不自然なほど気にいられていたはずなのに、突然こう言われた理由が、よく分らなかった。きっかけは分っていた。彼が、百合根子と仕事をさせようと連れてきた男と、彼女が寝たことだ。
「あんたに○○○立つ男、おらへんで」というのもある。寝たどころか、ほとんど関わりを持たなかった男なので、不思議だった。「ほんまに色気ないなあ。性格さっぱりしすぎ」これは、本当に尊敬する舞踊家に言われたので、きちんと聞くことにする。つまり、わがままと色気なしが、自分のキーワードであるらしい。
で、前者を自戒し、後者ゆえに安心して、生きていくことにした。人の話を興味深く聞くことにして、いやがられる言動だけは避ける。といっても、しょせん問題性格なのだし、色気もないのだから、それほど深く関わることもないだろう。特にこの色気なしというのは、男が近くにいても気楽になれて、本当にありがたい。こうしていると、はずみで男と寝てしまうこともある。これはやっぱり、イレギュラーというやつだと百合根子は思う。 (2002.10.30)
「取材」 k.nakanisi
「東京で、一人で暮らしてた頃はさあ、わたし無茶苦茶だったもん」と、弘子さんはビールを飲みながら話してくれた。彼女は、最近体験記を出版して話題の人だった。談話室には、取材陣の他にたくさんの患者たちが料理を食べながらさわいでいる。
「下着なんて何ヶ月もかえてなかったし、薬ばっかり飲んでいたから、昼も夜も分からなくなってて、朝かな? と思って外に出たら、真夜中だったり……。ここの作業所にきてからだよ。良くなったの。良い先生もいるし、ねえ、先生!」弘子さんが、イタズラっぽい目をむけると、精神科医の田村先生は、とぼけた仕草をしてみせた。
「それに……、もうすぐ私も母親だもんね」弘子さんは、お腹をさすった後、横で黙々と食べているお相手のほっぺたをつねった。相手の青年は、はずかしそうにしている。「もう、なんか話してよ」と、弘子さんが促すと、「あ、夫の悟です……」とカメラに向けてつぶやいた。
「みなさ〜ん、これが夫の悟さんです! 悟さん、私を見捨てちゃあいやよ!」弘子さんが甘え声を出すと、悟さんは何度もうなづいた。
「お茶の間のみなさん見守っててね。一杯子供産むから。だって……」弘子さんはベロを出して、悟さんの方を見つめた。「私、あんたのセックス大好きやもん!」一際大きな声をだした弘子さんが、悟さんの背中をはたいた。思わず悟さんは、ビールをふきこぼししている。作業所に歓声がわきあがった。堪えきれないのか、カメラマンも声をだして笑っている。カメラがぶるぶるとふるえていた。 (2002.10.20)
「苦行」 吉村萬壱
久しぶりの慈雨が川を増水させ、濁流が渦巻いている。その危険な川べりに、沢山の裸のヨガ行者が積み上がっていた。少なくとも三人、多いものになると七人もの人間が、下の者の屈んだ背の上に乗って、何十本もの柱になってブラブラ揺れていた。強風にあおられて川に転落する柱もあれば、一旦は倒れかかったものの、超人的な脚力と連帯感を発揮して奇跡的にもち直す塔もあった。どの塔も、一番下の者の脹ら脛は鉄のように固く、ヒラメ筋は例外なく攣ってブルブル痙攣していた。踏ん張り過ぎて足の爪を剥がし、泡や血を吹いている者もいる。彼らは飲まず食わず、糞小便を垂れ流しながら、もう十日間もこんな苦行に耐えていた。下に位置する者ほど、流れ落ちてくる汚物を舐め取る恩恵に浴する事が出来た。崩れ落ちる誘惑に耐えて最後まで残る事こそ、「悟りし覚者」の資格を意
味した。十五日目に嵐が来た。川が溢れ出し、殆どの塔が断末魔の悲鳴を上げながら瓦解した。そして二本の柱だけが残った。次に日照りが来た。彼らの背中は焼け焦げ、踏ん張っていた足が皮を剥ぎ取って、二本の塔はほぼ同時に崩れ落ちた。「最後まで残ったのは俺達だ」「いや、こっちだ」と忽ち諍いが起こり、壮絶な食い合いが始まった。川は真っ赤になった。その光景を眺めながら突如として豁然と悟りを得た一群の人々がいたが、彼らは最初に川に落ち、挫折感と羞恥の中で虫のように生き延びながら、もう殆ど死にかけているところだった。「真理とは、こういう事であったか……」俄然生命力を取り戻した彼らが大地に足を踏み締めて立ち上がり、「覚者」の誇りを胸に一切の執着を離れて天を仰いだ瞬間、一頭の虎がのそりと現れ、「あきゃ!」と叫んで逃げ出した者は例外なく噛
み殺された。即ち、全員即死。 (2002.9.16)
「時計」 abiko masahiro
誕生日に買ってもらったのだとヒグチくんが見せびらかしたのは、長針と短針が矢のような形をしたブルーのベルトのカッコいい腕時計だった。スゲえだろ、一秒の狂いもなく正確に時間が判るんだぜ、とその日一日ヒグチくんはずいぶん得意気だった。
子供たちはいつものように学校裏のハトミにいくと一〇〇円の当て物をし、それから公園へとむかった。そこでスリリングな自転車レースを堪能する。
西の空が朱色に焼けてきた頃、おっともう五時四〇分になったから今日は帰るよ、とヒグチくんがいった。じゃあボクも、といって他の何人かの友達たちも帰っていった。じゃあな、また明日、学校でな。自転車で走り去っていく仲間たちの背中を見送りながら、和紀は、ヒグチくんが昨日までとは違う存在になってしまったような印象にとらわれる。それが、何かに縛られたからだいうことまでは、まだ子供の和紀には判らない。
(2002.7.1)
「ふみちゃん」 k.nakanisi
ふみちゃんは、十八才で、堀川女子高等学校に通っている。
私が、得意科目は? って訊ねたら、社会と算数なんだって。不得意科目はないらしい。毎日勉強で忙しいらしく、いつも難しい顔をして、食堂の椅子に腰掛けている。好きな人はいるの? 知らん! ふみちゃんはしわがれ声をだして、プイッと横を向いてしまった。
ふみちゃんは忘れっぽい。
私が食事を食べさせてあげた後も、すぐに、ご飯を食べさせてえなあって、だだをこねる。さっき食べたでしょ。食べてない! 食べた! こんな押し問答をしていると、向かいに座ってる、八十八才の嘉子ちゃんが楽しそうに、ふみちゃん、さっき一緒に食べたよ。 って言ってくれた。それを聞いたふみちゃんは、寂しそうな顔をして黙り込んでしまった。
めったに来ない、ふみちゃんの家族がお見舞いに来た。
ふみちゃんは、ずっと怖がっておどおどしていた。そりゃあそうだよね。十八才だって思ってるのに、息子さん夫婦がいてお孫さんが二人もいて、おばあちゃん大丈夫? なんて、びっくりするよね。
その晩遅く、ふみちゃんが暴れた。
死にたい! 死にたい! っておいおい泣いていたって、宿直の看護婦さんが言ってたよ。怖かったんだね。でも、大丈夫だよ。ふみちゃん! (2002.5.31)
「桃の花」 涼
桃の花が咲いた。このところ妙に暖かいと思うていたが。狂い咲きおったか。祇園の蔦尾大夫の丸い尻を思った。笑みをこらえた。情極まればほんのりと、あのような桃色に染まりよった。狸面をつるりと撫でた。今一度。さよう、今一度舐りたいものよ。頬が緩んだ。
良し。やっと見つけたぞ。この世に思い残すことを。それが娼妓の尻とは、傑作じゃ。早々に迷うて出ようぞ。
案内役の声がした。
「大石内蔵助良雄殿」
内蔵助は白袴を捌いてゆっくりと立ち上がった。
「されば、ご一同。いずれあの世にて。御免」 (2002.5.26)
「インディゴ」 光郎
陽が落ちた。空は色をなくした。インディゴに沈んだ大地に、草いきれが満ちている。
子どもの影がふたつ歩いていく。並ぶ姿は、夜の影に溶けこんでいる。
「におうね」と一人がつぶやいた。
「何が?」「このあたり、焦げ臭い」「気のせいだよ」
しばらく黙って歩いた。
「ぼくら、二人だけになったの?」
「きっとね。誰も戻ってこないさ」
「疲れちゃった」「歩こう。ここを抜けよう」
星々が輝きだす。
「どこまで行ってもおんなじだよ」
「ああ、そうかも。ママとパパは、あっちのほうの、あのあたりで撃たれたんだ」
「ぼくの家族は、このあたりで、焼かれたよ。家ごと焼かれた」
「そう」鼻をくんくんさせて、「だけど」とつづける。
星明りが、インディゴの大地に注ぎ、丈高く生い茂る雑草と、その下にのぞく瓦礫とを浮かびあがらせた。
「焦げ臭いなんてこと、ないよ。草が生えてて、もう何も、におわないから」 (2002.5.18)
「幼なじみ」 涼
突き止めた長屋で五年ぶりに見るおようは、やつれて見えた。右眼に蒼ずんだ殴打の跡があった。
「与之助には近づかねえ方がいい」
言った伊吉を、おようは氷のような眼で見返した。三日後、賭場でしくじった与之助を追って、おようも姿を消した。この春、江戸に舞い戻ったという噂を聞いて間なしに、殺しの下手人の人相書が出回った。与之助だった。
伊吉は十手を握り直した。闇の向こうには定町回り同心村上源次郎が潜んでいる。
(与之、俺を殴って逃げろ。おようを大事にするんだぞ)
長屋までの道すがら、繰り返し思い描いた筋書を、伊吉はもう一度反芻した。
闇が動いた。御用だ、という鋭い声がして、月明かりに、与之助が縋るおようを突き飛ばすのが見えた。おようの右眼の痣が頭をよぎった。体が動いた。伊吉は十手を逆手に構えて、腰を落とした。
「与之助、御用だ。神妙にしろ」
立ち竦んだ与之助に、背後から村上が縄を打った。
伊吉の頬で泥が弾けた。
「犬!」
おようの叫び声が闇を裂き、消えた。 (2002.5.14)
「赤鬼の太鼓」 橘 春月
たんたたたん…たたたん……たたたんたっ…たんたっ……。
石油ストーブの上で、浄水用の竹炭を沈めたやかんが沸騰している。遊びから戻った娘が玄関ですっとんきょうな声をあげた。
「かあちゃん、どこいらでおすもうさんの音しとるっ」
「おすもうさんの音?」
ふん、と強く頷き、思いついたように居間へ走っていく。見ると、電源の切れたテレビに丸い額をくっつけ、中をのぞき込んでいる。頭でっかちの宇宙人が画面に大写しになった。
たんたたんたたた…たたん……たたんたんたた……。
「ほれっ、しとるが」つぶらな目を見開き、娘が振り返る。「そやけど、どこやろう?」
うーん、と一丁前に首を傾げ、居間の窓を開けて小さな腕を組んでいる。そのうち拳を斜めに上げ下げし、柱の周りをうきうき歩きだした。私はようやく合点し、台所へ行って無造作にやかんを持ち上げた。
「こん音のこと?」
やかんの底で炭の踊る音が、走り寄った娘の耳元でいっそう強くなった。
たたたたっ…たたん……たたたんたったん…たったた……。
そういやよく似てる。大相撲の触れ太鼓の音だ。笑う私に、娘の動きがぴたりと止まる。娘の頬にさっと紅がひろがり、赤鬼のよう
な顔になった。
「なんやあ、おちゃびんかあ。あたひ、おすもうさんがきたかと思うたんにっ」
赤鬼はどすっと畳に膝をつき、みるみる部屋いっぱいに膨らんだ。 (2002.5.13)
「別れ」 涼
眼の前に眩しい初夏の青い空があった。彼女の膝を手掛かりに起き上がろうとして、空を切った左手が草を掴んだ。眼が覚めた。
池の向こうでお昼のチャイムが鳴った。その小学校の玄関脇の小さな事務室に、僕の机がある。滅多に開けない、右側の上から三段目の抽斗に、東北の何処かの町の消印がついた彼女からの手紙が入っている。開けて見もせず、届くなり抽斗に放り込んで、僕が着任した三年前の誕生日に彼女がくれた、鶴の形の、銀のペイパーウェイターの下敷きにしてやった。あんな手紙、欲しくないから、ひとりになった三月に引っ越したのに。職場に届けるなんて、反則だ。
二度目のチャイムが鳴った。いけない。また大目玉だ。振り仰いだ青空に、僕の隣の、彼女のいた机にこの春から座っている、まだ名前の覚えられない中年のおじさんの顔が浮かんだ。 (2002.5.8)
「影」 巽
失業してからというもの、俺は暇潰しに、身体をいろんな形にしたり、動いたりしては、自分の影を観察していた。
俺が片手を挙げれば影も片手を上げたし、走れば全く同じスピードで伴走した。赤信号の横断歩道では歩道に長く伸びて、トラックや乗用車やバスに何度も轢かれ続け、ビルの屋上の手摺りに立つと、はるか下の歩道まで伸びたあげく頭部をアスファルトに叩きつけられていたり、傍を通る女のスカートの中を下から覗き込んだりしていた。
影の奴は本体の俺よりも雄弁で、自在で、存在感があった。こいつの方が俺よりもよく働くんじゃないか、と思ったほどだった。
影の観察を初めてから数日経った頃、俺は夢を見た。
両足を揃えてジャンプすると、真下の丸い影が深い穴と化して、そのまま奈落に落ちてしまうというものだった。うなされて、目が覚めると、いつもの、安アパートの部屋の闇があった。俺の影が部屋中に拡がっているみたいで、俺はまだ穴の中に堕ち続けているような気がした。
それ以来、俺は影から眼を逸らすようになった。
ハローワーク通いは、まだ続いている。 (2002.5.6)
「桜」 高山 錨
浴槽には髪の毛が浮いている。
甘い香りが人の油脂を伝えている。
なんだか生きているのが嫌になった。
女と遊んだ記憶がかすかにあった。
女はこの浴槽で確かにおれと遊んだ。
昨夜だったか、その前だったか。
桜色の浴槽の水は、確かに女の香りがする。
おれはふやけて白くなった掌をぢっと見る。
黄色い風呂場の灯りでも、その不健康な白さは自分のものだとわかる。
桜色の中に蝋石みたいな女の顔があった。
女はおれのたるんだ腹で甘えている。
長い髪が揺れている。
女の顔が朱をさしていた。
そのとき「女はおれを愛していたんだなあ」とはっきりわかった。 (2002.5.6)
「忠犬」 高山 錨
裏山のすすきだか雑草だかのなかに忠犬の墓があった。
もう何年も忘れられているのは、忠犬の墓がすすきの背よりも低くなっていることでわかった。
コンクリで作られているのが場違いであった。
忠犬の墓のコンクリの表面がブツブツになっていかにも侘びしい。
秋の気配が背中にしがみつく季節より、桜の花びらがちらっと忠犬の墓周辺に舞う今が忠犬の孤独を深くした。
忠犬の墓は媚薬だった。
忠犬の墓をいつも覗いたのは、墓の表面に埋め込まれた勲章らしきもののガラス玉が自分だけの秘密の宝石だったからか。
ひとりの秘密の楽しみ。
初夏だったか。
白い女が白い指で勲章をなでていた。
見たことのない白い女だった。草の陰からうなじもふくらはぎも白い女が勲章をなでているのを見た。
なんだか妙に肉感的な熱さを忠犬の墓も感じているようだった。
白い女から目が離れなかった。
「はーっはーっ」右手に青臭い春が残っていた。
それぎり白い女は見なかった。
忠犬の墓はかわらなかったが、忠犬の勲章は媚薬の光をもうもたなくなっていた。 (2002.5.1)
「その側」 abiko masahiro
ゆっくりと近づいていく。人の気配をさぐる。乗っている人影はひとつ、僕は助手席の側から回り込み、ガラス窓をコンコンと叩く。
乗っていたのは女だった。予想はしていた。ウィンドウは下りない。
「すみません」と僕はいう。
暗がりのなかから、暗がりのなかに立つ僕に女の視線がむけられる。
構うもんか。「何してるのか知らないんだけど」
生徒が気味悪がって困るんだ、という。もう何日もあなた、同じ時間にここに車、停めてるでしょ。
マンションの2階が塾の教室だった。若い共同経営者と二人でここに教室を開いてもうずいぶん経つ。
ウィンドウが下りた。「関係ないでしょ」と女がはいう。
なくはない、と僕は思う。チラと覗いて見た助手席に思ったとおりのものがあった。双眼鏡。
教室の上の部屋に線の細い、それでいて鋭い視線をもつ男がいるのだ。
ホストだという噂があった。女は、さしづめ、その男を追うストーカーってところだろう。気味悪い、と僕は女にいった。ここ塾だから、評判とかあるんだ、停めないでくれないか、といいながら、女のなかにぽかりと開いている暗い穴を感じる。その不気味な手触り。
何もいわず僕を見ている。暗い夜の教室の前で、僕は、目の前から見つめ返してくる、手では触れられない暗がりについて、その存在について知る。 (2002.5.1)
「色彩の憂鬱」 光郎
雪原に春の陽が踊りはじめる。濡れた黒い地面があらわれる。男は町の鋳造職人に手紙を書いた。
「銀の十字架を手に入れてください。それを溶かして、弾を造ってください。支払いは郵便為替でいたします」
大地は柔らかい緑に覆われた。空の青が明るさを増す。男は目を細めて窓の鎧戸を閉ざした。やがて返事が届いた。「すべてご注文のとおりにいたしました。銃弾は四十五口径です。お送りしますか」
「弾はこちらからお送りする拳銃にこめてください。そして銃を送り返してください」
鋳造職人から木箱が送られてくると、男はそれを小脇に抱えて外に出た。
いちめんの菜の花がひろがっている。菜の花を踏んで歩き、立ちどまった。木蓋をあけて拳銃を取り出す。ひとりごちた。
「色彩が私の心をさいなむ。なかでも、女の肌の色が私を苦しめる。それと、赤い星だ。女の掌に、赤い星の印があらわれるのを見るのは、もはや、耐えがたい」
こめかみに銃口を当てる。
どん、と空気が震えた。
菜の花の黄色に、濃い赤が降りかかった。 (2002.4.30)
「クイクイ」 萬
荒野に男が一人蹲っていた。女が一人歩いてきて、男に声を掛けた。すると男は人差し指を立てて「クイクイ」とした。意味が分からずに女が更に声を掛けると、男は又「クイクイ」をして、「クイクイ」と声に出した。女は人差し指を「クイクイ」とするのは「こっちへ来い」ということかと判断し、更に近付いて声を掛けた。すると男は又「クイクイ」をして「クイクイ」と言う。女は眉を顰め、男の耳元で、ずっと言い続けていた言葉を叫んだ。「クイクイ!」。すると男はキッと女の顔を睨みつけ「クイクイ!」と叫び返した。暫くの間「クイクイ」の絶叫合戦が続き、二人は鬼のような顔をして睨み合いながら声の大きさを競い合い、忽ち汗だくになった。
疲れ切った二人は、呟くような声で「クイクイ」言い合っていたが、やがて互いに倒れかかるように抱き合った。その瞬間発作的に唇が合わさり、モサモサと相手の髪の毛を弄くり回しながらクイクイ引っ張り合っているうちに、抱き合ったまま地面に倒れ、双方トロリと眠ってしまった。
女が寝返りをうつと、男はクイクイと女の腰を抱き寄せた。それに応じて女は口の端をクイクイと持ち上げ、満足げである。 (2002.4.29)