10行小説集 第2集 2003.4〜2004.12
「創作談義」の「10行小説大会」に投稿された作品を保存・公開します。 ( ) 内は投稿された年月日です。作品の著作権は作者本人に帰属します。
目次(投稿順) 「イッショニイコウ」 お邪気 「女」 高山錨 「軍靴」 高山錨 「1DK」 コウ 「転校生」 KAZU 「放電」 高山錨 「人形」 TORU 「紅蓮」 高山錨 「獏の宇宙」 鴨幹太 「秘法」 TORU 「まほろば」 KAZU 「月光」 岩男香織 「星月夜のうたげ」 お邪気 「たびのやど」 光郎 「月」 レオ 「ナタップ!」 KAZU 「マッチ売り」 椰子の実 「カンダールの月あかりのなかで」 真如 「蛇の朝」 真如
10行小説大会参加要項
「創作談義」に、10行小説を投稿し、自由に批評しあう。
作品および批評の投稿は、どなたでもご自由に。
投稿作品とわかるように、題名(件名)は、「10行小説 『 タイトル 』」とする。
10行小説は、きっちり10行である必要はない。字数は自由。ただし上限は600字程度までとする。
とりあえずは、一人につき2、3編までとする。
タイトル、内容は自由。ただし、特定の団体・個人を誹謗中傷するものなど、ダメなものは、駄目。
締め切り、大会終了期日などは、とりあえず、なし。
(2002.4.25)
ジャンルお題について
上記の「一人につき2、3編までとする」のほかに、「童話」を1編、「歴史小説または時代小説」を1編、投稿可。
10行小説大会「第2集」開催期間中に限る。
(2003.8.30)
「蛇の朝」 真如
塗りたての、キャンバスの赤に、朝はやって来た。油の匂いに、追われるように、玄関の扉を押すと、外は、冷たい冴えた空気が、朝を包んでいた。きりりとした白い空気は、赤に酔ったサチにはもってつけだった。両手を伸ばして深く息を吸い込んだ。朝刊を取りに郵便受けに行くと、剪定を待つ松の翠の指先に蛇の衣が、かかっている。背中から首にそして、耳たぶまでを、掴まれたように、何かに襲われた。しま蛇か?その皮は、まだ、ぬんめりとして見えた。つぶさに残るうろこ模様、蛇の面あたりは、身体に残した両目の穴、鼻の気孔までも確かだ。口先から、この皮を離体し、松の枝にうねるように巻きつかせ、口からでていったのだろう。庭の納戸に火箸を取りに行くと、スチールの扉もよく冷えていた。スライドさせて中を探そうとすると、いつもなら、風景になってしまった虫籠水槽、ウサギ小屋、鳥籠、ゲージが、ざわめいて見えた。その奥に、小さく柔らかい手があった。犬に噛まれた歯型もまだはっきりとしていた。膿んで風呂にも入れなかった手だ。かかとのふっくらした小さな足も長靴のように置かれていた。これもサチの物だった。低温火傷の水膨れが、張り付いていた。つぶらで好奇心に満ちた眼玉ひとつ、脅え慄いている眼の玉ひとつ、もサチを見ていた。その玉を拾い上げ耳の窪みにあてがってみた。眼の玉はくるりと内を向き、そして、潰れたかと思うほど激しく転げ落ち床にぶつかった。心の焦りがそうさせたのかと、左の耳にもう片方を突っ込んでみたのだが、サチの中の異物を見抜くのだった。今まで、ここに、こんなものがあることを知りはしなかった。闇の中の無垢な瞳は、サチを無視し、細い朝の光を見てた。そこから出ようとはせずに。サチは、鍵をかけなくてもいいと解った。気を取り直して、赤いU字型の火箸を手に取ろうとして、汚れた指輪に当たり金属音を立てるのだった。小さな音ではあったが、サチの胸に棘のように刺さり込んだ。蛇の皮を採って蝦蟇口に入れてみよう、薄皮を棄ててしまうのはもったいない気持ちが湧いて来たのだった。 (2004.11.12)
「カンダールの月あかりのなかで」 真如
南の異国で、はじめての夜は満月。細長い窓の格子に、ひっかかった、まるい月。
桟の上まで渡りきるまで、月のひかりを浴びていよう。カンダールの月にも、うさぎが住む。彩やかなピンク色の蚊帳に格子の影。足先で蚊帳を揺すってみる。影は優しく揺らぐ。ゲッコウがなく。ピンクがかった大きなヤモリらしい。自分に名付けられた名を低い声で、歌っている。
大甕の水を汲んで、小さくなりながら、身体を流している時に見つけた、東の空にあがったばかりの大きな月。さっきは、本当に驚いた。見上げた空に、くっきりとサザンクロス。日本の空に架かることのない大きな十字よ。地球の成り立ちから、祖先がバクテリアだった頃から、天は十字を背負っていたのだ
突然の雨音 はげしい雨音 空に月が輝く 不思議。
突然の悲鳴 静まった夜に ひびきわたる 不思議。
そしてたぶん 馬が荷車をひいて行く音
そしてたぶん 牛がゆっくりひかれて行く音
澄み切った夜から、燃えるオレンジ色の太陽への朝へ、続く活気。
朝からの授業のためにこども達は、もう出発した時間。月夜の空に感謝する。どうぞ無事に、導いてくださいと。ゆっくりと夜はあけた。
溢れる色をもらった庭に立ち、わたし達の代わりに、ジャングフルーツの木に、ハンモックで夜を過ごして下さった村長さんに尋ねた。
あの何かの叫びはブタの声 家畜から食材に生まれ変わる。豊かな暮らしを支えるための今日一日のいのちの時報。
あの雨音は、風がヤシの葉を強く揺らし屋根を叩く音。
乾季のカンボジアに、まぼろしの雨が降る。 (2004.9.7)
「マッチ売り」 椰子の実
光の死んでしまった街でマッチ売りと会う。壁づたいに手さぐりで歩いていたらぶつかってしまったのだ。真っ暗なのでどこにだれがいるかなんてふつうはわからない。けれどそうは思いつつもやはりマッチ売りにたいして申し訳ない気持ちになる。お詫びにあるだけのマッチ箱を買い占める。家に帰りさっそく開封すれば火薬のついていない軸棒の束。窓越しにぼんやり闇を見る。と空に閃光が走る。奇跡? 外へでてみると街が焼き映っている。なつかしい風景をまえに言葉を失う。しばらく歩いた先でわたしは空を仰いだマッチ売りの残像と会う。 (2004.5.28)
「ナタップ!」 KAZU
ポ〜ンポ〜ン、悪戯そよ風が真っ白なフレアースカートを翻した時、チラッとフリルのレースが垣間見えた。ネットに掛かったボールを、のどかは中腰のまま鼠の様に素早く拾う。
「ボール行きま〜す」ワンバウンドで夕子先輩の手に上手くキャッチ!
と思う間もなく、ラケットで撥ね返したボールがヘン太の腹部に直撃した。「へたくそ」のどかは慌てて駆け寄り、夕子をキッと睨む。
春の麗らかな入学式、白球は校庭の絨毯から呑気に青空を舞い続け・・・
のどかと編子は揃ってブルマ姿の奴隷となった。あの日の悪夢以来、二人は朝練を重ね先輩達とのラリーでは「ミス」をしないと心に誓った。
バックアウトをしようが、短かろうが何が何でも走り捲って執念で返球するのだ!
今日の敵はあの憎き夕子、のどかは唇を噛み締めラケットを固く握ってラインに立つ。
馬鹿でかいアウトボールは、まぐれのノーバウンドで打ち返せた。ヨシッ
コーチもキャプテンも目を見張る。その瞬間、ネットすれすれの超〜短いボールが・・
前に突進したら、ネットに足が絡まって転倒してしまった。「ノド、大丈夫?」
しかしラケットにギリギリ触れ、まるでスプーンで掬う様にボールはネットを越えた。
が、仁王立ちの夕子が口惜しそうに叫ぶ「ナタップ!」
「えっ・・・?」ノドとヘン太はガックリと項垂れた。 (2004.5.3)
「月」 レオ
ごんべいは畑仕事をしながらいつも「月」を見ていました、
夜明け前、昼間、夕方と、見る時、見る方向で形と大きさが変わります。
月を見つけると心引かれる自分が居ました。
「おら、月が好きだ」
ごんべいは、妻も子もなく父母には早くに死別し、村の人々の手伝いで生きていました。
今日は伊作の家の手伝い、明日は弥平の家と、頼まれる仕事をありがたくやっておりました。
眠る前に「月」の事を思うことが、ごんべいの幸せでした。
ある真夜中、ふと目が覚めた、ごんべいは、昼のように明るい外に気が付きました、
「あれあれ、こんなに明るい月は、どうしたんじゃ」
真昼のようで、真夜中のような、不思議な月の明るさでした。
さそわれるように、外に出たごんべいは、全身を月明かりにさらし、
「おらを、呼んでるんだか!」と叫びました。
だが、どこからも返事はありませんでした。
そんな事があってからも、ごんべいは相変わらずの日々でした。
でも、なんだか「特別なごんべい」のような気がしました。 (2003.11.10)
「たびのやど」 光郎
はいふく。 おといあわせの件に回答もうしあげます。山紅葉の葉の掛け布団ふた組、貴館を発つ際、私共が泊まった青い小石の下の洞の間に、たしかに敷いたままでありました。部屋を出ようとすると隣り部屋(緑の平らな石の下の間です)にたいざいしていた行商の沢ガニ屋がのぞいたのであいさつしましたが、まだお泊りでしたら、彼の口から布団がそのままになっていた事実をごかくにんいただけるかとぞんじます。
私共は貴館を出発後、まんいち川から、あけの川にぬけまして、アシの森公園やレインボー放水路など名所に立ちよりながら、おりからの大雨にもめぐまれ、半日で川をくだり帰宅いたしました。貴館でのお心こもったもてなしは、このようなおといあわせの手紙をいただいたことも気にならぬほどにたのしい思い出でございます。いろあざやかであたらしく、てざわりもかけごこちもよい山紅葉の布団のゆくえがしれることをおいのりもうしあげます。そういえば、私共が貴館を出るのといれちがいに、そばのホトケ岩の根方にある白砂荘のかじかの御主人が貴館の裏手にそっと入っていく姿をお見かけしました。
山あいの水も冷たくなる候、風邪などお召しになりませんように。貴館のますますのごはんえいをおいのりいたします。 けいぐ。
けいりゅう旅館 わかあゆ御主人殿
河口町中州 ハイツテトラポット405号 オイカワミツオ拝 (2003.9.28)
「星月夜のうたげ」 お邪気
踊の稽古に入ったら、おばあは夜叉だ。あたしの前の孫や養い子が、何人も耐えかねて死んでいるって。おかげであたしは、傀儡女(くぐつめ)の自分を誇りにできる。腰の入れ方、跳躍、静止、目にも留まらぬ動き。卑しき遊芸人よ、根無し草よと、さげすむならさげすめ。
おばあの踊は、星々の下現われる精霊たちを呼び寄せる。怖ろしいのは、怨念や土地に澱む記憶をも自在に操ること。まるで胎内に取り込むように、濃い夢みたいな踊に変えてしまう。
「鎌倉が先の帝と戦をするそうな」「そうかえ」おばあの目が光を帯びる。今夜の踊は沼ほどに深くなりそうだ。
おばあは気が向くと、一座の者に、「昔、東国の化け物に、踊を剣の代わりに戦いを挑んだ」話をする。「愛しい男を奪い、子を食らおうとする輩に、おのれは鬼じゃと分からせてやったのよ」と笑う。「惚れたはどんな男じゃ」「戦しか能がなかった。わしと似ておったわ」男と子は取り戻せたのか。結末は語られない。「昔を今に、か?」「いや、昔は昔よ」星と月が、未だ白い歯を浮かび上がらせる。かつて都一と謳われたという美貌の幻が、一瞬よぎった。
今日聞いた話だ。輝かしい武功を立てながら、北へ逃れた御曹司。捕らえられた思い女の白拍子が、鎌倉の御所さまの前で歌い踊ったのは――。「おばあがよく踊る歌ではないか」訊ねたあたしに返事をせず、「さあ、もう少し稽古するかえ」にやりと笑った。 (2003.9.23)
「月光」 岩男香織
灯りを消し、空を仰ぎ見ると月は雲の中に隠れていた。
男に生まれませば。
女であることを何度も恨んだ。
兄は父より漢学を学んだが、わたしの方が出来た。父だってわたしを認めた。
然し父は諭した。
才を見せてはならぬ。己を出してはならぬ。この世には女が超えてはならぬ枠があまたある。
女は決して才を誇ってはならぬ。
男に生まれませば。
他の女房の悪口を日記に書き連ねたのは羨望していたからだ。
清少納言のように愛らしく己の才を誇りたかった。和泉式部のように己の恋に忠実でありたかった。
長い間わたしは自分を閉ざしていた。然し、もう偽るまい。
御仏の道に背きても父の教えを欺きてもこの道を歩くしかない。
再び月が雲の間より現れた。
光にさらされた指先は墨で汚れていた。飽くこともなくわたしはいつまでも見つめ続けた。 (2003.9.15)
「まほろば」 KAZU
ピーヒャララ・・・今宵は無礼講、半裸で酌をしながら笛や太鼓に踊り狂う女達。
熊襲タケルの宮殿には、琉球を始め、吉備の国、相模の国等の使者が続々と貢物を献上し、お国自慢の踊りと酒に宴もたけなわとなった。と、その時シャラシャラと流れる鈴の音と共に、大和の踊り女が雅な衣装に身を包み舞台に登場する、釘付けになる男達。音はシャン、シャン、シャンと小刻みになり、黄金の鈴を振りながら、熊襲タケルにツツッーと近付く踊り女・・・透き通る白い肌、高貴な面差し、しなやかな指先、真紅の裾裁きの妖艶さに骨抜きになる熊襲タケル。
「おお、酌をせい、こっちへ」と抱き寄せた途端、辺りは瞬時に暗くなった。
喉に剣を押し付け「倭は国のまほろば、我が父は帝なり」
観念した熊襲タケルは家来達に言う「この勇者を称え、我がタケルの名を与える」
皇子としても女化としても天にも勝る、と鮮血は飛び散り自ら喉を掻き切った。
父への愛と忠誠心を誓い、熊襲征伐を果たし意気揚揚と倭へ戻った小碓命は、兄・大碓命が父に殺され、母代りの伯母・倭姫は伊勢へと追いやられた事を知り愕然とする。「小碓命よ、次は蝦夷を討て!」帝からの新たな命に泣き崩れる許婚・橘姫心を堪え再び蝦夷へと死の旅に出るヤマトタケル。
伝説の白鳥は、懐かしいヤマトの青空を幾度も旋回した・・・ (2003.9.11)
「秘法」 TORU
定家は、いつからか後鳥羽院を避けていた。鎌倉幕府へのあの憎悪は、激しすぎる。院の表情、態度物腰とも、不穏な空気を漂わせ、一触即発の面持ちだった。そんな折りに「臣下と言わむより、和歌の師とも仰ぐ定家どの、たっての願いである。まかり来よ」とは。いつもの通り、下でに出つつ権高な、冷ややかに見下した書状だった。
御簾の奥の薄闇に、朧ろげに院の姿がにおいたつ。
「昇殿を請うたは他でもない。新たに建立する御堂内部の障子に、名所絵と名所和歌を配したい。ついては和歌の撰進、絵師の選抜その他、一切をそちに任せる」
新しき御堂…… 何の意図をもってしてか。
定家の献身の甲斐あって、新御堂、最勝四天王院は予定通りに開創をみた。ほどなく怪しげな修験者らしき、幾人もの僧侶が出入りし始めた。祈祷に専念しているらしく、噂では鎌倉の将軍、源実朝を取り殺すため、特別の秘法を修しているとか。定家はおぞ気に身を震わせた。
作品という、汚れなき芸術家らの魂を、政敵を取り殺すための呪術に利用するとは。それに手を貸してしまった己の行く末も恐ろしい。
年が明けて豪雪のある朝、とおく鶴岡八幡宮境内にて、弱冠二十八歳の鎌倉将軍、右大臣実朝は、甥の公暁によって首を打たれた。それは、鞠のように石段を転がり落ちた。 (2003.9.7)
「獏の宇宙」 鴨 幹太
ぼくが、のら犬のバクに飲み込まれて三日がたったと思う。……と思う、と言うのは、ぼくにも良く分からないんだ。なにしろ、ここは星空の下までずっと草原が続いていて、風に揺れるばかりで何も起こらない。太陽は気まぐれに上がってくるけれどすぐに帰ってしまう。お腹も全然へらない。でも、星空はいつまで眺めていても飽きないくらいきれいだ。「南の大陸座」や「夏の氷座」がやって来て、ぐるぐる回っている。昨日は不思議な光景に出合ったよ。草原の真ん中に、もみの木が生えてきて、ぐんぐん大きくなってあっという間に星空をかくしてしまった。そしたら、すぐに枯れ初めて、葉っぱが落ちてきたんだ。葉っぱは草原全体に降り積もって、やがて土に還っていったよ。ようやく星空が戻ると、流れ星が落ちてくるようになった。流れ星が地面に落ちると、ふわっと辺りが明るくなって不思議な景色をぼくに見せてくれる。ほらっ、今も一つ地面に落ちた。……バクが鳴き叫んでいる。砂浜にいつの間にか棲むようになったバクは、中学生のグループに苛められていた。バクは年老いていたので逃げられなかったんだ。蹴られたり、バットで殴られてりしているのを、ぼくは隠れてじっと見ていた。バクが動かなくなって、中学生たちが行ってしまうと、ぼくはバクに近づいた。抱きしめると、死にかけていたバクがぼくをやさしく飲み込んだ……。また一つ流星が落ちたよ。今度は暖かさが広がった。これは、バクが生まれたばかりの頃の風景だね。三匹の兄弟と一緒にお乳を飲んでいるところが見えたよ。
夏休みの宿題も、お母さんのお手伝いもしなくてはいけないけれど、この流星がなくなるまで
は、ぼくは帰れそうにない。 (2003.9.1)
「紅蓮」 高山 錨
「瞳は描いてはならぬ。魂を召し上げられてはかなわぬ」見事に梳られた髪は漆黒の闇に溶けている。燐が揺らぐが如く上弦の月が蒼い。卯の方角である。夕陽を背にした牛車もいつの間にか月を正面に見ていた。方違えのため北山に向かう女御はやむなく白川の鄙びた寺で一夜を明かすのである。すさびに絵師を喚んだ。内裏では評判の絵師である。花鳥風月を手で掬い取るかのように描き出す噂を聞き、方違えを幸いと女御が忍んで招いたのであった。女御には思いを寄せる男があった。むろん殿上人である。女御の望みはその男と情を通わせることであったが、男には通う女房があった。女御の歌に男からの返しはなかった。叶わぬ望みであるがゆえに女御の思いは燻りつつ炎となり、蒼い月の光でも女御の燻りは紅蓮に濡れているのがわかる。微かな虫の声が静寂を一層深いものに感じさせる晩であった。お付きの命婦を下げ、絵師に言った。「男との燃えるが如き春を描け」絵師は沈黙の内に筆を走らせた。「男のみ瞳も唇も鼻も生きるが如く、その口は吸えるように筆を執れ」絵師は女御の目は引き、鼻は鈎に描きつつも男には命を与えた。東雲近く、絵師は退出した。曇天であった。命婦は妻戸の内に女御を見ることはなかった。紙には、目を引かれた鈎鼻の女が紅蓮の歓喜に身を捩らせている。男の口を吸い、漆黒の髪が男の顔から乱れた直衣に幾筋も掛かっている。髪の隙間に男の瞳がちらと覗いた。一瞬、男の瞳に不条理の怯えを見たような気がした。命婦は触れてはならぬ禁忌だと悟った。
それゆえ今では命婦も絵のことなどとうに忘れているはずである。 (2003.8.30)
「人形」 TORU
「面白い写真展があるの。一緒に行かない」
女は男にそう言ってほほえんだ。二人は写真教室で知り合って、たちまち深い関係になっていた。どちらもそれぞれに夫が、妻がいた。会場に着いて、男は驚いた。被写体は全て、一体の人形だった。生身と見紛うほどの、例えようもなく美しい女の人形だった。艶めかしい下着姿だったり、裸体だったりする。奥へ行けば行くほど、人形が目隠しをされたり、無残に虐められていたりする。人形が涙を流している写真すらある。あげくの果てに、手足を、首を切断されて、包帯の血痕もなまなましく、雪原に転がされていたりする。男はぞっとした。
「いやあ、これはちょっとね。僕にこんな趣味があるとでも」
女は何も答えず、頬の片方だけで笑った。そのあと立て続けに、女が講座を欠席した。連絡の取りようもなく、男は途方に暮れた。意を決して、女の家に電話をしてみる。無愛想な男の声で「妻ですか。妻は入院しました」と答えるだけだった。詳しい情報を得られないまま、男は虚しく日々を過ごした。ある日教室で、女と親しかった女性らの噂話が聞こえてきた。
「あの人、大手術とかで、身体じゅうズタズタなんですって。覚悟はしてたらしいけど」 (2003.8.29)
「放電」 高山 錨
女は肩からタオルを掛けている。下半身は膝までが緩く見事に無防備である。薄い猫毛がサワサワと淡泊ではあるが、その丘はテラテラと貪婪である。「おいっ」男は声をかけた。女の瞳は中空に放電するが如く一切を無にして動かない。「この女の恥骨に文字通りの『恥』を取り戻さねばならぬ。さもなくば俺はなにゆえに今まで生きてきたのかわからぬではないか。」男はそれを己の試練と受け取って疑わない。男は女の頭をぐらんぐらんと揺すった。パンパンと音が鳴るほど肩を叩いたりもした。ほんのりと肩のあたりが朱を差したように見えたのは秋口の夕陽が斜めに女を切ったせいである。そして恥骨は恥を取り戻すどころか、ますます挑発的である。男は女の肩と頭に触れるばかりであった。ぐらんぐらん、パンパン、テラテラ。その循環の連続。三日が過ぎ、七日が経ち、太陽の落とす影は角度を変えた。地面はもうどれくらい太陽を回ったのか。男は女の膝で目を閉じている。だらしない口元から涎液が糸を引き丘を濡らした。その瞬間。夜が縮み、星が続けて流れた。一つが弾けて女の『恥』に当たった。丘は身をくねらせるようにブルブルッと震えたかと思うと赤い火花を発して放電した。女は膝から指までをきつく伸ばし、親指を握り込み、小さく膝を合わせた。女の眉根にかすかな苦悶が走った。
男は女の『恥』が揺らいだのを知らない。夜は深く静かである。 (2003.7.20)
「転校生」 KAZU
毛深くて厚い胸にギュッと抱き締められると私は(この胸のときめきを)止められない。
金色の長い髪を撫でるうち思わず首筋に爪を立てて血が流れ落ちても、即座に舌で舐め掬ってくれるアナタ。私が喉を潤そうと蛇口に屈み込もうものなら、空かさずお尻に鼻を押しつけクンクンと臭いを嗅ぐ。「Non」
熊のプーニャが(コメプリマ)幼稚園へ先月転校して来てから、柴犬の哲もカラスの慎太郎も白い目で私達をジロッと見る。日本の悪い癖だと海豚先生が言っていた。
ママは毎朝私の髪を青いリボンで結び、胸に《地球・ジャンヌ》と書いたハンカチを安全ピンで止め、腕にはパパが遺した時計をつけてくれる。
「ジャンヌ、あなたは人間だという事を忘れないで。長い針と短い針が12の所へ来たらお弁当を食べるのよ」焼き立てのバケット・ハム・チーズそしてプーニャへの角砂糖1個、哲に夕食の残りの骨肉,慎太郎にはリンゴ一片をギンガムチェックのクロスに包み「行って来まーす」と慌ててママにチューをする。
この星へ命辛々逃げて来たけど、時々(巴里の空の下)を思い出して涙ぐむ。
夜には(輝く星座)がこんなに煌いているのに、私の瞳と同じ色の地球はもう無い。
プーニャ、ギュッとギュッと抱き締めてね。パパの様に・・・いつまでも・・・。 (2003.7.7)
「1DK」 コウ
そしてベッドでは、彼がさっきのまま寝息を立てている。私は独りブランケットから抜け出る。摂氏四十二度のシャワーを浴びて、バス・ルームから上がる。白いバス・タオルが洗濯機の上に投げ出してある。頭から被る。何も見えない。適当に水気を取って、千二百キロ・ワットのドライヤーで髪を乱暴に乾かす。鏡で前髪だけ整える。
湯気が逃げないようにバス・タオルを胴に巻いて、先端は胸の脇へ折り込む。胸の前にそれなりの谷間ができる。キッチンへ向かう。ライトは付けない。窓から差し込む街灯で十分動ける。使っていない流し台は綺麗なまま。ガス・コンロは買っていない。並べられた皿も引っ越してきた時に片付けたまま。スズ色のコーヒー・ミルが光る。友人の結婚式の引き出物だ。もう二年になる。今でもまだ挽けるのだろうか。光沢だけは薄れず、灯を反射している。
冷蔵庫を開けて、品質保持期限ぎりぎりの牛乳を取り出す。
今まで何人かの人に抱かれてきた。これからも何人かの人に抱かれる。その度に私は、どうしようもなく瑣末な感情を抱く。瑣末な感情は、胸をこすっては離れ、また戻ってきてはこすって、そして離れていく。いつまでも漂って、どこまでも漂って、泳ぎ疲れてはここで眠る。
今は胸がむず痒いから、下唇を噛むのは許してね。
冷蔵庫から体を起こすと、バス・タオルがするりと落ちる。電子レンジに裸の胸が映る。ほら、綺麗でしょ?
紙パックを傾けて、牛乳を喉に流し込む。今日もよく眠れますように。 (2003.6.30)
「軍靴」 高山 錨
ガターンゴトーン。空くはずのない席。ぼんやりとした期待。奇跡は起こらない。座っている女の首に老いの輪。懈怠。疲労の澱。泥の眠り。ドアが開く。蒸し暑い。
弾かれた兵卒。一斉に駆け下りる足音。ザッ、ザッ、ザッ。生理に刻まれた音の記憶。
中年の女が金切り声を上げた。「捕まえてー!」
メッシュ帽の貧相な男が疾走した。手には古ぼけたブランドの鞄。若い男が中年の女の声に弾かれたように足をかけた。貧相な男はもんどり打って倒れた。したたかに膝をホームのコンクリートに打ちつける。鞄のゆるんだ掛け金がはずれ、女のわびしい世界が散らばった。口紅。赤い財布。そしてレシートが風に舞う。女は食ってかかる。貧相な男は膝を押さえ、顔を伏せる。若い男は向こう脛を抱え呻いている。「イタイヨー。イタイヨー」
抑揚のない放送が次の電車の到着を告げた。
急ぎ足の中年男の革靴が口紅を蹴った。そして規則正しい靴音が続く。
生理に刻まれていたのは軍靴の響き。ザッ、ザッ、ザッ。ザッ、ザッ、ザッ。 (2003.6.2)
「女」 高山 錨
若すぎない女はいい。
それもとびきり白いのがいい。
小麦に焼けたのは「女」の前の「幼虫」。
白い肌を押すと指先が少し吸い込まれるくらいがいい。
小麦の肌は固くてね。
果物は腐敗臭の漂う前が旨いって言うじゃないか。
陳腐なたとえ。
壁に向かってひとりごちた。
目の前の女は確かに白い。
でも肌を押すと少しへこんだきり、爪の後がいつまでも残った。
俺の手の甲も白いが、血は冷たいようだ。
真っ黒な蠅が女の白い頬の上で手を合わせた。 (2003.5.20)
「イッショニイコウ」 お邪気
噛みつかれて、しゃぶられて、がじがじと咬まれて、時に喉まで飲み込まれて、それがどうしてこんなに気持ちいいのだろう。おまけにあいつの体には、海の生き物のような触手が無数に生えている。それが同時に俺の体をはいずり突起にからみ穴という穴をつつきまわす。俺の体にこんなに穴があったのか。増えてるんじゃないのか。
快感に脳漿が吹き出す一歩先を読まれて、あいつはゾル状になり、俺を本当に飲み込んだ。
勝った、と思った瞬間、あたしはうめいた。あたしの中を、なんとめちゃくちゃに泳いでかき回しているのだ。ゲル状まで戻りかけたのが、ああ、またゾル状態だ。なんという烏賊みたいな動きだろう。やっと少し固まったところへ、もっと硬いものが思い切り突き立てられた。
ずぶずぶと入っていく。止まらない。俺全体が入ってしまったと思ったところで、あいつの体がべろりと裏返った。今度は俺の体が裏返り、べろりべろりと転がっていく。唖阿。偽宇。非違。凹。舐めたい。噛みたい。食らいつくしたい。あたしは思い切り歯を。
一瞬意識が清明になった。どうせなら、二人同じ路線でボケたいね。そう言っていたのが実現できたのだ。ありがとう。八十になっても歯が自慢の君だから、できたことだね。白目をむいている妻にほほえみ、今一緒に、とつぶやこうとしたが、血まみれの傷口を開けた首が、ごぼごぼと音を立てただけだった。 (2003.5.3)