「砲台島」への旅
『砲台島』を読んでくださってありがとうございました。
作中に出てきた舞台のいま(単行本初版刊行時2007年春)を訪ねてみました。
伊浜の重砲兵連隊は、大阪府と和歌山県の県境にあった「深山(みやま)重砲兵聯隊」がモデルになっています。
現在は左の写真のようにレストハウスと芝生とテニスコートのあるきれいな公園になっています。
公園の道向かいの山道を上って岬の頂きに行くと、深山砲台の台座跡が残っています。右の写真で、少し見えにくいのですが、白っぽい部分の上の緑色の楕円形が、草の生えている台座跡です。
台座跡から石段を上り、観測所に出ると、紀淡海峡から大阪湾が展望できます。下の写真が、砲台島の方角を眺めたものです。手前が地ノ島、その奥、左手が砲台島こと友ヶ島。さらに後方にぼんやりと見えるのが淡路島の島影です。
主人公の弘之が渡里中尉に命じられて、阿郷の漁村で聞き込みをする場面があります。 ここに出てくる神社は、加太の淡島神社がモデルです。境内にはたくさんの人形が納められていて、何か背筋がぞくぞくとなる場所です。右はその鳥居と、鳥居前の老舗旅館の建物。 加太の集落には、神社のほかにも、役の行者(えんのぎょうじゃ)堂があり、修験道の修行の道筋でもあります。古い歴史を懐に抱いた地域です。
左の行者堂に上がって漁港を見下ろすと、ここからも砲台島がよく見えます。 さて、いよいよ船で島へ渡ってみましょう。
「砲台島」へ
砲台島は、友ヶ島をモデルとしています。 船で近づくと、先ず目に入るのが、島の東端、虎島と呼ばれる部分で、左の写真のように急傾斜の岩肌が露出しています。修験者はこの岸壁を1本の鎖を頼りに登っていくそうです。
島に上陸して、島の中央部、第3砲台跡に上ります。右の写真、切り通しの向こうに、将校用の宿舎の建物が見えます。
切り通しを抜けて、宿舎の横を通り過ぎて振り返ると、左のように見えます。
左側の建物が将校用宿舎、右隣りの建物は、先の写真では見えていませんでしたが、島内の発電設備だったとか。 いずれの建物も、外壁だけが残り、内部はなくなっています。
第3砲台跡には、右のような煉瓦造りの設備が保存状態もよく、残っています。 一人で歩いていると、ひんやりとした空気が肌に触れます。
さて、第3砲台跡から、東西に細長い島を3キロほど歩くと、島の東端部分、虎島に着きます。船上から険しい岩肌を眺めたあの場所です。戦時中は軍用道路が敷設されていたのですが、いまは左の写真のように、岩が転がっているばかり。虎島の頂きに、4人の砲兵が当直していた虎島砲台があります。
虎島砲台跡にも、左のように設備の跡があります。すっかり草木に覆われています。
右の写真は同じ場所の砲座跡。小さいけれど、しっかりと南の海を見据えています。
砲座の位置から海を望むと、対岸には加太の漁港が。
漁港から漁船がこの島に来たのではないかと考えて、捜査を続けるのですが。
地理的にいって、阿郷の村のモデルは加太漁港になります。
舞台のモデルとなった土地は多いのですが、作中に登場する団体・人物などは全て創作です。特定の団体・家・個人とは一切関係がありません。念のために。
最後に、「事件」の起きた、沼の外の海岸です。
遠景でわかりにくいのですが、両端が海にせり出した小さな入り江です。
ちなみに、この写真を撮って振り向いた筆者は、野性の鹿のカップルと鉢合わせして、お互いに驚いてしまいました。鹿、りす、鳥……いまは自然に恵まれた平和な島です。
烏羽玉の沼は……。
筆者はこの沼を再び訪れたくてこの写真の旅に来たのかもしれません。
しかしここだけは、作品中のイメージを大切にしておきたいと思います。
事件から62年後、2007年春の砲台島ツアーでした。
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