
長屋門
紀州街道は、古くは熊野街道とも呼ばれ、信達宿(しんだちじゅく)はおよそ九百年前頃より、熊野詣で賑わっていました。特に市場村は白河上皇(1053年〜1129年)以後、歴代上皇の宿舎が置かれたところから、信達荘御所村とも呼ばれていました。後鳥羽上皇が熊野詣をされた、建仁元年(1201年)十月の、お供の歌人藤原定家の日記「後鳥羽院熊野行幸記」にも、往きの七日、帰りの二十四日、信達宿に宿泊したという一文が書かれています。
左奥の鉄筋二階建ての部分が、殿様が入る御成門(おなりもん)のあった場所で、明治四年(1871年)、市場村に渡されたところです。当時は役場で、御成門はそのまま昭和29年まで、残っていたのですが、公民館として建て直された時に、取り壊されました。今は敬老会館になっています。
住所
(通常)非公開
当時の勝手門で、右手の二階建ての蔵の部分に、荷物の継ぎたてをする、人馬問屋が置かれていました。戦前(第二次大戦)までは、当家の近辺の街道沿いに歳の市が出て、大変賑わっていたので、市場という地名になっています。
長屋門
(紀州街道、南から北を見る。)
(北から南を見る。)

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大阪府泉南市信達市場2072番地
「大阪ミュージアム」に登録されています。