清児神社


明治後期まで清児には、厳島神社(字土山)と清児神社(字一の宮)というふたつの神社がありました。
ともに市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしていましたが、明治41年に森稲荷神社に合祀されました。
中でも清児神社は600坪以上の敷地があり、稲荷神社455坪を凌ぐ木島校区最大規模であったと推測されます。
広い境内には老松が生い茂り、夜になると気持ち悪いくらい鬱蒼としていたそうです。
かつて一の宮と呼ばれた一帯は、今は住宅が立ち並んでいますが、その名残でどの家も住所は同じ番地です。

日露戦役従軍記念碑です。
清児だけでなく、木島校区では名越、森、三ツ松、水間の各町にもあります。
明治37年2月勃発の日露戦争ですが、記念碑は明治39年頃の建立と言われてい
ますので、建立当時は清児神社が存在していたはず。
森の記念碑が稲荷神社境内にあるように、ここは清児神社の境内だったのでしょう。

記念碑横にある清児の牛神さんです。
元は清児神社境内、今の水間鉄道清児駅の裏手あたりの祠にあったそうです。
耕運機が導入される昭和30年代初期まで、農耕の主役は牛でした。
各農家では、家族同様に大事に牛が飼育されていました。
牛の労をねぎらい、亡き牛を偲ぶため、各地区で牛神様を祀っていたものです。
牛神神事のひとつとして、こども相撲大会が残っている地区もあります。

水間街道(旧道)沿い、行米穀店さん向かいにある地蔵さん。
手前の道を右へ行くと清児町会館前を通って清児駅へ突き当たります。
この地蔵さん、元は手前の道を挟んで反対側にあり、その位置は清児神社境内の南
東付近になるものと思われます。
以前、町会館前入口の場所に清児の地車庫がありましたが、その向こう正面あたり
には、清児神社拝殿があったと言われています。
明治期に清児先々代地車が存在したとすれば、当時の地車庫も境内にあったのでし
ょうか?
参考文献「ふるさときのしま探訪」(田中博一氏著)
資料提供:高井ヨシ子さん

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