水間鉄道清児駅


水間鉄道は名刹水間観音への参拝客の輸送手段として、大正14年12月に開通しました。
開通当初は貝塚南(海塚)駅から名越駅までの約3kmの営業でしたが、大正15年1月終点水間駅まで延伸。
また、昭和9年には南海貝塚駅へ乗り入れ、現在(貝塚〜水間)へと至っています。
かつては旅客のみならず、地場産のフキやタマネギなど農産物の貨物輸送が盛んな時代もありましたが、
昭和47年に海塚駅の廃止とともに貨物営業も廃止されました。
現在は、府立貝塚南高校の通学生や、清児・清名台・サンシティマンション等地域住民の通勤客などにより、
清児駅は水間鉄道線の中でも、貝塚駅、水間駅に次ぐ乗降客の多い駅となっています。

清児の玄関口「清児駅」。単線の無人駅です。
清児のこどもの多くは、ピカピカの小学1年生入学から、ここから電車通学します。
はじめて自分で電車に乗った時は、車掌さんに定期を見せたくてしかたがありません
でした。

踏み切り横に水間鉄道経営のたこやき屋さんがオープンしました。
こどもたちに人気です。(注※残念ながら平成16年春閉店)
たこやき屋さんの裏には広い水間鉄道の敷地があり、奥には変電所もあります。
何十年か前には、ここが盆踊り会場になったこともありました。
この清児にある水間鉄道の敷地には、次のような背景があります。

私(管理人)の高校(貝塚南)時代、体育の授業のマラソンコースから、熊取町の七
山あたりの谷間に、水間鉄道のものと言われていた鉄橋が見えました。
その歴史をひも解くと、古い話になりますが、昭和28年に設立された紀泉鉄道は、
清児〜粉河(和歌山県)間の免許を取得・着工されましたが 資金不足で中止に追
い込まれたそうで、あの鉄橋はどうやらこの時の夢の跡だったようです。

その後、水間鉄道が合併し清児〜犬鳴(泉佐野市)間の免許を持っていましたが平
成9年にそのまま免許を失効させたそうです。
平成元年に出された運輸政策審議会答申第10号では清児〜土丸(泉佐野市)間の
着工や貝塚〜清児間の複線化を平成17年までに整備に着手すべき区間と されてい
たとか・・・。
粉河や泉佐野方面への延伸が実現していれば、この敷地にはきっと大きな清児駅が
できていたはず???
もし、そうなっていたら清児はどんな町になっていたのでしょう?

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