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MAIN BACK 登岳陽楼 杜 甫

    岳陽楼に登る  杜甫

   昔聞く 洞庭の水
   今上る 岳陽楼
   呉楚 東南にさけ
   乾坤 日夜浮かぶ
   親朋 一字無く
   老病 弧舟有り
   戎馬じゅうば 關山の北
   軒けんに憑れば涕泗ていし流る


岳陽の高殿に登り
洞庭の水眺めやる
古き地を二つに分かち
ものすべて浮かべるがごと

同朋の便りも途絶え
老いし身に小舟のひとつ
ふるさとの戦さは止まず
ただ独り涙にむせぶ

岳陽楼(湖南省・岳陽)

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053   ←前の詩次の詩→


 岳陽楼は洞庭湖の東北端に位置し、そこからの湖の眺めは絶勝と称せられる。昔から文人墨客の訪れるところであったが、孟浩然の「洞庭に臨む」とこの詩とが最も名高い。
 大暦三年(768)奉節を去って最後の放浪の旅に出た杜甫が、岳陽に舟をとめ、この楼に遊んだときの詩。杜甫57歳の暮冬。これから二年後の冬、作者は舟の中で一生を閉じる。
 「呉楚東南にさけ」。この句の解釈には古来諸説がある。一説では、中国全土の東南にあたる呉楚の地方に大きな裂け目ができ、そこに洞庭湖ができたという。「淮南子(えなんじ)」天文訓に見える神話に、共工(きょうこう)という神が他の神と争って敗れ、不周山に頭を打ちつけて自殺したが、そのとき天地を支える柱が折れて、天は西北に傾き、地は東南が欠けたちあるのにもとづく。
 「乾坤日夜浮かぶ」。この一句の解釈にも諸説がある。乾坤は天地。いまは広大な湖水が、昼も夜も全宇宙をその上に浮かべているとする説をとる。後魏のレキ道元(れきどうげん、レキは「おおざと」偏に麗)の「水経注」に洞庭湖の大きなことを言い「日月も其の中に出没するが若し」とあるのをふまえる。

   洞庭の水を、名のみに聞いていたのは昔のこと。
   いま私は、岳陽楼に登って、目のあたりにその湖をながめている。
   東南、呉楚の地方が二つに裂けて、この湖水がたたえられ、
   はても知らぬ水面は、昼も夜も、全宇宙を浮かべているかと見えるほど。

   思えば親しい人たちからは一字の便りもなく、
   老病のわが身につれだつものは、ただ一そうの小舟があるばかり。
   目を転ずれば境をへだてる山々の北では、軍馬の足音がひびいているとか。
   楼の手すりによりかかりながら見わたすとき、私の目からは涙があふれ出る。

                   (前野直彬「唐詩選」)