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烏江亭に題す 杜牧 勝敗は 兵家も事期せず 羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児 江東の子弟 才俊多し 土を巻いて重ねて来たらば 未だ知るべからず |
西楚覇王祠(安徽省・和県)〈中国語ジャーナル〉 |
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この詩は「捲土重来」砂塵をまきおこすいきおいで再び勢力を盛り返す、という成語の出拠として有名である。 烏江は長江下流北岸の地名、亭は村というほどの意。紀元前3世紀の末、楚漢の争いに敗れた項羽(前232〜202)は、四面楚歌の中で愛妾虞美人をも失い、僅か28騎の手勢をひきつれて、烏江まで逃げのびて来る。 渡し場に船を用意して待っていた烏江亭の亭長は、項羽に江東(江南)の地に拠って反撃の機をうかがうことをすすめる。しかし項羽はいう「天の我を亡ぼすに、我何ぞ渡ることを為さん。且つ籍(われ)江東の子弟八千人と江を渡りて西にすすみしに、今一人の還るものなし。縦(たと)え江東の父兄、憐れみて我を王たらしむとも、我何の面目ありてかこれに見(まみ)えん」。そして手兵とともに迫る敵との白兵戦にいどみ、みずから首かききって果てる。時に項羽31歳。 司馬遷の『史記』が伝える有名な場面である。杜牧はこれを詩材にして、次のようにうたう。 戦の勝敗は兵法家でさえ予測はできぬ。 恥をしのびにしのぶもの、それこそが男児だ。 江東の若者にはすぐれた人材が多かった。 砂けむりを巻きおこして再起をはかっておれば、 事態はどうなっていたか、わかるまい。 歴史の逆転への空想である。杜牧が世紀末的世相の中で、好んでこうした逆転劇を仮想して「詠史詩」をつくったことは、すでに何人かの杜牧研究家によって指摘されている。 (一海知義「漢詩一日一首」) |