紀州犬は紀伊半島(和歌山、三重及び奈良県)を中心に、
古くから猪や熊猟に利用された犬で、昭和9年5月に国の
天然記念物に指定されて以降、「紀州犬」と呼ばれるようになりましたが、
それまで地元の猟師などは、その出所産地を冠して
太地犬あるいは熊野犬といっていました。

 昭和9年(1934年)5月、国の天然記念物に指定されました。
中型、小型に属する日本犬は狩猟犬としての存在価値があり、
有史以前から全国各地で飼育されてきました。
その猟法は「一統一狗」といって、猟師一人が一頭の犬を使って狩猟を
行うものでした。そのなかでも、紀州犬は猪猟にかけては右に出る犬種は
いないといわれるほど巧みです。しかし、狩猟で生計をたてる人が減り、
多くの紀州犬は一般の家庭で飼育されるようになりました。

 ふだんの生活態度は悠然として静かなたたずまいを見せますが、
内に秘めた闘志ははかり知れないものがあります。周囲に対する注意力は
非常に鋭く、不審なものは寄せつけない力強い反応を見せます。
そのような紀州犬の姿に、「頼りになるやつ」と実感する人も多いことでしょう。

 毛色は白毛がほとんどですが、わずかに赤毛、胡麻毛の有色犬がいます。



我が愛しい愛犬は喜来(きく)といいます
喜びが絶えずくるようにと願い名付けました
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弘法大師と紀州犬
平成16年にユネスコから世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」
の高野山、熊野三山及び吉野・大峯の三霊場の一つ、高野山には紀州犬の
祖先犬に纏わる有名な話が今日まで伝わっていることは、周知のところであ
ります。
空海(後の弘法大師)が平安時代に唐から帰国して真言密教の霊場を求めて
旅をしていたところ、白・黒2頭の犬を連れた狩人に出会って、この2頭の犬が
空海を守護して高野山の霊場まで導いたといわれています。

紀州犬物語(弥九郎とマンのお話)
 江戸時代、紀の国は阪本村に弥九郎という鉄ぽう撃ちの名人がいました。
 ある日の夜、弥九郎が山道を歩いているとのどに骨がひっかかり苦しんでいる
一匹のオオカミがうずくまっていました。
 弥九郎は骨をぬいてオオカミを助けると「もしよければ、おまえの子供を一匹
おれにくれんか。」といって、オオカミを放してあげました。
それからしばらくして弥九郎の家の前に一匹の子犬がおいてありました。
弥九郎は、これはあのオオカミの子にちがいないと思い「マン」と言う名をつけて
大事に育てました。
 ある年、新宮のお殿様が狩りをした時、1頭の手追いのイノシシが
殿様めがけて突進して来ました。
 それを見たマンはイノシシにおそいかかりみごとにたおしてしまいました。
 こうしてマンは、このあたりでは知らない人がないほど有名になりました。
しかし、弥久郎のおばさんがこんなことを言い出します。
「オオカミは千匹殺すと、飼主にも襲いかかるというよ。
虫でも1匹になるので、マンももうそろそろなのではないのかい」
マンはその夜遅くに遠吠えを3回すると、弥久郎の前から姿を消してしまいました。
 この弥九郎の犬マンが、後の紀州犬の先祖だということで、紀州犬はオオカミの血を
ひいているといわれています。
 マンの主、弥九郎は実在した人で阪本の岩洞院というお寺にお墓も残されています。