2007年2月26日(月)
ブログはじめました

長い間日記を更新していませんでしたが、
ブログをはじめました。
興味があればのぞいてください。

http://jakimoto.blog95.fc2.com/

2006年2月18日(土)
いま、その人の身に起こっていることは、その人にふさわしい
『いま、その人の身に起こっていることは、その人にふさわしい』

前回の日記の最後にこの言葉を紹介しました。

この言葉は、今の会社に入社し、かなりしんどい思いをし、それを
何とか乗り越えられ、自分で受け止めた経験を短く言い表して
いるように思いました。

ある客先のシステム開発を受託したのですが、協力会社の体力と技術力が
追いつかず、本番2週間前になっても結合テストが1本もあがっていない、
という状況に立ち至りました。

それまでは小まめに上司の専務に状況を報告していたのですが、最終的に
私の判断で客先に開発状況をオープンにし、当初予定のシステムではなく、
何らかの代替手段をとることを提案し、構想を説明しました。

ところが、専務から私の独断を厳しく叱責されました。

スケジュールについては、客先の責任者とぎりぎりの交渉をしているところ
であり、現場の責任者の独断専行は許さないというわけです。

それに対し、私はこの期に及んでごまかすべきではない、事実は事実として
伝えるべきといって納得しませんでした。

その結果、協力会社との接触を禁止されました。

私は自分は正しいことを言ったのであり、また行動したのだ、それを否定
するのならばこんな仕事やってられるか、ということで数日間まったく仕事
をしませんでした。

しかし、同僚二人は客先と協力会社との間を走り回り、合間に上司との
社内調整を行いと多忙を極めていました。

そうした状況を横目で見ながら、すね続けていた私に同僚の一人が、
「秋本さん、いい加減大人になってください」
と言ったのです。

「ふん」という態度をとりましたが、内心ものすごく恥ずかしい思いを
しました。

そこから、徐々に自分の出来ることを見つけ、こつこつとやっていく中で、
同僚からの信頼感も少しずつ取り戻すことができました。

上司と揉めたのが10月の半ば過ぎ、それから1月の半ばまでは、本当に
現場に張り付いて、協力会社と客先そして客先の社内ユーザーといった
関係者の間の調整に忙殺されました。

後になって考えたのですが、彼が言う「大人」は、上司とうまくやる、
という意味ではなく、たとえ少々理不尽なことがあっても、自分の役割を
きちんと果たすべきという意味だったと思います。

この年になるまでそんなことにも気がつかなかったということは、本当に
愚かな人間だと思います。

困難な状況を、ぐっと耐えることなく、いろんな理由付けをして回避する
というのが、これまで意識しなかった私の行動特性ではないかと気づき
ました。

モリタを辞めたのも、この特性が表面化したもののように思えるのです。

話を戻しますが、この期間を潜り抜けることで感じたのは、これは、
するべくしてした経験だったのだということです。

思い上がった私にとって、必要な経験だったと心から思えるのです。

あるところで避けて通ったとしても、いずれどこかで経験せざるを
えないの経験と言うものがあるということ。

あるいは、事後的にしか、その経験の意味を了解できない経験が
あるということもできるのではないでしょうか。

こんな風に考えることが出来るようになったことを、「大人になってください」
と言ってくれた同僚に感謝しています。

そして、冒頭の言葉を噛みしめています。

『いま、その人の身に起こっていることは、その人にふさわしい』


2006年2月13日(月)
体を通った言葉

身体を通った言葉

以下の文章は実は2月9日に書いたものです。

このホームページを見てくださっているのは、大半が私自身を何らかの形でご存知
の方々だと思います。

文章を書いてみて、いざアップするとなると、躊躇しました。

こんなことを、知っている人たちに読まれたら、無茶苦茶かっこ悪いなあ〜、と
思ったからです。

でも決心しました。

知られたということが、私を動かす原動力になればいいと思うからです。
そして、これが今言える本当のことだからです。

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昨年の5月以来日記をアップしていませんでした。
昨年の6月にある会社に就職し、仕事が忙しいということを理由にしていましたが、
本当は書けなかったのです。

なぜ書けなかったのか?

ネタが無くなった、自分の書くものが気に入らなかった、思ったほど受けていない、
理由はいろいろ考えてみましたが、どれも自分で自分を納得させるものではありま
せんでした。

書こう書こうと思っても書けず、上のような理由を頭の中でこねくり回している
うちに、書くことそのものがわずらわしくなってぱたりと止めてしまいました。

書けない本当の理由を深く考えることなく今日まで来てしまいました。

でも自分の心の奥では本当の理由をわかっていたように思います。

「自分の言葉が自分を納得させていない」

このことをごまかしとおすことが出来なかったのだと、今では思います。

ごまかしとおすことができないままでも、私はなんとなく日々を
過ごしてきました。

最近、日刊イトイ新聞に連載されている、山田ズーニーさんの「おとなのための
小論文教室」をまとめて読んでいます。

そこで気がついたことがあります。

モリタを辞めてから、いや、そうではなく、辞める前から、私は私自身に
向きあっていなかった、自分で自分のことをちゃんと見ようとしていなかった。

このことを、自分が自分に対して認めるのに2年近くかかりました。

このことに思い当たって以来、おそるおそる自分のことを見つめてみると、
とうとう認めないではいられない、あることに気づきました。


モリタを辞めたのは失敗だった、

と言葉にしてみて何か違うという気持ちがしました。
失敗というと、成功した状態の比較で考えられる状態ですが、
現在の状態を考えてみても、もちろん成功という自信はありませんが、失敗
といことでもないと思えるのです。

そういうわけで、失敗というのは、今の私の気持ちを正確に言い当てている
ようには思えません。

モリタを辞めて後悔している、このほうが今の気持ちに近いように感じます。

長い間「後悔」している自分を認めようとしませんでした。

人事のこと、上司のこと、仕事のこと、いろいろ辞めた理由を並べ、
人にもしゃべり、自分にも言い聞かせましたが、やっぱり後悔しています。

もし残っていたら、あそこはこうしたい、ここはこうすべき、といったことが
頭に浮かびます。

しかし未練なんか無いと自分に言い聞かせてきたように思います。

未練と後悔を抱えている自分を、自分自身が認める勇気がありませんでした。
まして人には絶対に言えませんでした。

山田ズーニーさんからこの勇気をもらいました。

そして考えたのは、私が日記を書けなかったのは、私の言葉が私自身に届いて
いなかったからだということです。自分に届かない言葉が、どんなに親しく
ても周りの人たちに届くはずはありません。

「身体を通った言葉」、自分の言葉のことをぼんやり考えていると、「身体を
通った言葉」という言葉が、身体のどこからか、少なくとも頭の中からでは
ない感じで、ふっと浮かんできました。

私の身体を通った言葉は、少なくとも私自身には届くはずです。

未練があります、後悔しています、これらは悔しいですが私の身体を通った
言葉です。このことを認めないでどんな言葉を発しても自分自身に届きません。

このことを自分自身の出発点にしようと思います。

自分が自分に向き合い続ける自信はまだありませんが、自分の言葉は自分自身
に届いているか? 自分の言葉は身体を通った言葉か?この問いを忘れないで
いられる自分でありたい。

最後に、山田ズーニーさんの文章で紹介されていた言葉を掲げます。

『いま、その人の身に起こっていることは、その人にふさわしい』


2005年5月9日(月)
階段落ち
最長10日間に及ぶゴールデンウィークもようやく終わりました。

私は2日、6日はちょこっと仕事をしましたが、ほぼ世間並みに
遊んでいました。

3、4、5と孫たちが遊びに来たので、久しぶりに腕によりを
かけて蕎麦を打ったところ、3人ともえらい食欲で、ほぼ半分を
3人で食べてしまい、大人はやっと一杯づつ回ってきました。

そんなわけで、あまり本が読めなかったのですが、藤沢周平の
「三屋清左衛門残日録」と、浅田次郎の「壬生義士伝」を読み
ました。

藤沢周平の、虚飾を排した緊張感のある文体が好きなのですが、
浅田次郎のストーリーテラーとしての手練手管に、若干むっと
しながらも結局引き込まれてしまいます。

50歳を過ぎて隠居した清左衛門と、食い詰めて脱藩した吉村
貫一郎、一見共通点はなさそうです。

かたや順調に出世し、藩主の用人にまで上り詰めた成功者、一方
文武に秀でていても、身分の軽さのため一家を養うのに汲々と
してしまい、結局脱藩して新撰組に身を投じてしまう人生。

しかし、私にはどちらも身につまされる部分がありました。

一言で言えば、50を過ぎて脱藩したのが、現在の自分のように
思われたからです。

今のところ新撰組の募集はありませんし、仮にあったとしても、
50歳を超えた新入隊士は採用してくれるはずもありません。

いっそ自分で新撰組でも始めてみるかとも思います。


話は変わりますが、5月7日はITコーディネーターの集まりがあり、
2軒目は完熟トマトの2階で飲みました。

完トマの2階は今回で3回目だったのですが、とうとうやりました。

初めての階段落ちです。

酔っ払っていたので、筋肉の余計な緊張がなかったせいでしょう、
軽い擦り傷程度ですみました。

マスター、お騒がせしました。
2005年5月6日(金)
うんざり
4月28日以来の日記ですから、まるまる一週間書かなかった
ことになります。

もちろん、連休中ということもあったのですが、尼崎の電車事故
が妙にこたえてしまったようで、日記を書く気になれなかったのです。

テレビ、新聞で、これでもかというくらい、JR西日本の駄目さ加減
が伝えられ、相も変わらず識者か評論家か知りませんが、正義漢面した
連中(コメンテーターと言うのですか)がもっともらしいことをしゃ
べりちらかすという構図です。

うんざりしてきます。

ところが、困ったことに続々と報じられる不祥事には関心があるのです。

また出た、おおっ、まだあったか、といった感じです。

極めつけは「日勤教育」です。

この件については、私は自らの不明を恥じねばなりません。

事故直後の日記で、JR西日本は科学的な適性検査を実施している
という前提に立ち、科学を盲信することの非を指摘したのです。

ところが、テレビで伝えられる、録音テープによると、まるで
旧陸軍の内務班(経験ありませんが)ではありませんか。

トイレに行くにも上司の許可が必要なのです。

自発性を根こそぎにする組織であることが、ここまで明らかになる
ことも珍しいのではないでしょうか。

しかし、この構図は今の日本でそう特異でもないと思います。

中学生や高校生が、わずか一年の学年の違いで、大声を出して
挨拶をしている姿を見るにつけ、暗澹たる気分になります。



そして朝日、NHKという大手マスコミです。

どちらの経営者も、社会の目を逸らすことができて、ほっとしている
のではないでしょうか。

経営と現場の乖離が指摘されていますが、JR西日本に限らず、そんな
企業や組織は日本中に掃いて捨てるほどあります。NHKも朝日も例外
ではありません。

現場の最前線の記者諸君の中には、自身の組織を省みて内心忸怩たる
思いをしている人たちもいるのではないでしょうか。

それともいないのでしょうか。

2005年4月28日(木
人の名前
たとえば、電車に乗っていて、ふと窓の外を見ると女の人が
一人で暑い道を歩いています。

何のために、どこに向かっているのか、私が知りようもあり
ません。その人は、私が電車に乗っていることすら知るはずも
ありません。

電車に乗っている、私の周囲の人たちは、私の姿を目にはして
いても、私が今から、何のために、どこに行こうとしているのかは
しりません。

もちろん、私も私が眺めている人たちが、それぞれにどんな事情や
理由で、どこに行こうとしているのか、知る由もありません。

不思議です。

中学生くらいのころだったでしょうか、ごく親しい友達のことを
頭に浮かべ、名前を何回も何回も、口に出さないで頭の中で繰り返し
ていると、姿と名前が分離してきて、見たこともない人間になって
私に迫ってくる、こんなことを一人で繰り返して遊んでいました。

あの顔を、別の名前で何故呼ばないのだろう、そんなことを考えて
いました。

こんなことを考えられるのも、実は名前をつけられることによって
しか、人間が存在できないということの証なのでしょう。

孫たちを見ていると分かります。

自分が名前のある存在であるということそのものが大事なのです。

一卵性の双子だから、私たちはそっくりに見えますが、当人たちに
とってはとんでもないことです。

しかし、先日面白い話を聞きました。

車のセールスをやっている元気な女性が家に来たのですが、彼女も
一卵性の双子で、小、中、高と一緒だったそうです。

ある日、どうしても衝動を抑えられなくて、別々のクラスだった
のですが、入れ替わったのです。誰一人分からなかったそうです。

でも一回で止めたそうです。

2005年4月27日(水)
究極の選択
石原慎太郎が週刊文春で吼えています。

魚釣島に自衛隊を派遣し、中国の船が領海侵犯したらぶっぱなせ
と言っているのです。いろいろ並べ立てて、要するに自衛権の
行使だから問題ないと言っているのです。

毅然とせんから中国をはじめ、アジア諸国になめられるんだ、と
言いたいらしいのですが、ちょっとおかしいのです。

中国に反撃されたら、米国が出てくるというのがいただけません。
いざとなったら親分が出てきてくれることを当てにしているわけです。

全然毅然としていないのです。

だいたい、国際関係で一方が毅然としてしているところに、こちらも
毅然としてしまえば、引っ込みがつかなくなるではありませんか。

そういう意味でいえば、心はこもっているように見えませんが、小泉
はがちんこになっていないのが救いかもしれません。本当はどうでも
良いと思っているのかもしれません。

話は変わりますが、山拓が補欠選挙で当選してしまいました。

奥さんや娘を総動員しての当選です。

田中真紀子の民主党候補への応援が逆効果だったようです。

だいたい、田中真紀子の人を貶めて笑いをとるやりかたは、少なくとも
大阪をはじめ西日本ではあまり受けないと思います。

ただ、ときどき鋭いところがあるから捨てがたいのですが。

梶山、小渕、小泉を称して「軍人、凡人、変人」と言ったときには
お見事と思ったものでした。

田中真紀子のことよりも、今日は石原慎太郎と山崎拓のことです。

私はデマゴーク石原よりも、変態山崎をとります。

国民を煽る政治家よりも、家族に迷惑をかけながら、小さな悪事
しかできない政治家のほうが、最終的に国民にもたらす災いが
少ないのではないかと思うからです。

立派な政治家がいなくても、うまくいっていることのほうが、本当は
幸せなのではないでしょうか。

2005年4月26日(火)
続鉄道事故
尼崎の電車事故は死者が73人にものぼっている。

昨日の日記では書ききれなかったことを少し書いてみます。

この運転士が過去にも処分を受けていたことが報じられています。
車掌見習い時代に1回、車掌の時に1回(これは乗客に居眠りを
見咎められたそうです)、そして運転手になってオーバーランで
1回ということです。

オーバーランをした後、再教育と適性検査をしたということですが、
私が一番ひかかるのはここです。

適性検査をクリアしてしまうと、彼を電車に乗せない理由がなくなる
ということです。

いわゆる客観的、科学的判断が下されているということで、組織の
責任は問われないことになってしまうのでしょうか。

周りの同僚、先輩の人たちがどう見ていたか、私は今これを一番
知りたいと思います。

適性検査では現れない兆候を、周囲の人たちが感じていたのでは
ないかと思われてなりません。

兆候のデータを蓄積するためには、ヒヤリとしてハットする感性が
なくてはいけません。

そうした感性よりも適性検査を信頼しているとすれば、根本的に
間違っています。しかし、この間違いを犯しているのはJR西日本
だけではないと思われます。
2005年4月25日(月)
鉄道事故
大きな鉄道事故が起きてしまいました。

あの辺りには友人も沢山住んでいますし、家人は週3回の
芝居の練習に行っているあたりです。幸い今日は稽古は
ありませんでした。

実は私も先週の木、金にあの路線を利用しました。

まったく他人事ではありません。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


こういう事故が起きると、思い出すのは「ヒヤリハット」の
ことです。

「ヒヤリハット」は安全用語で、「ヒヤリ」として「ハット」
することが、だいたい300件位になると本当の事故につながる
ということで、ヒヤリとしてハットしたことを放置しないで、
原因を究明して対処することで、大きな事故を未然に防ぐことが
できるということだそうです。

要するに、大きな事故につながる兆候を見逃すなということです。

私はたまたま医療関係の仕事で調べている時に知ったのですが、
医療に限らず、産業の様々な場面で安全を管理するためにデータが
蓄積されているようです。

運転士が経験が浅く、昨年もオーバーランで処分を受けていたそう
ですが、この時本当にヒヤリとしてハットしなければいけないのは、
その運転士の上司ではなかったのでしょうか。

昨今個人情報保護をはじめ、情報セキュリティーについて社会の
関心が高まっていますが、この分野においても「ヒヤリハット」の
事例を集め、分析し対処を提示するという、地道な活動が必要では
ないのでしょうか。



2005年4月24日(日)
情報セキュリティー
情報セキュリティー関係の試験を受けてきました。

にわか勉強が忙しく、日記が滞ってしまいました。

試験は多肢選択式でしたが、何しろ第1回ということで、
内容が想像つかず、またテキストを入手したのが2週間前
ということで、ここ数日ひたすらテキストを読み続けていました。

結果は1ヵ月後くらいに分かるそうです。

4月1日実施された個人情報保護法以来、マスコミで情報
漏洩、名簿流出等々のニュースが流れない日はありません。

毎日新聞では「数十万件のデータをいただいちゃいました」
と言うコンピュータシステム会社の社員のことが紹介されて
います。

当たり前のことですが、情報の共有化とセキュリティーの
確保はトレードオフの関係になります。

セキュリティーを徹底すれば、必ず個人単位に保有し、利用
できる情報が決められ、情報の流れが悪くなり、非常に窮屈な
職場環境になります。

組織の業務が、単一の職能の個人に担われている場合であれば、
こうしたセキュリティー重視のあり方にも順応できるでしょうが、
プロジェクト型の業務には適用が難しいと思われます。

日本の組織は、形だけはピラミッド型ですが、業務の実態は
大部屋的というか、インフォーマル組織のほうが力を持って
いるケースがままあります。

そして、インフォーマル組織は、ここだけの話だけど、という
フォーマルな情報の質と量の差をコントロールすることで成立
しているわけです。

こんな日本の組織が、本当に情報セキュリティーを完璧に実現
して、業務が成立つのでしょうか。

とは言え、しばらくは私も社会のニーズに乗っていこうとは
思っているのですが。
2005年4月20日(水)
完熟トマトで

移転後の完熟トマトの2階で初めて飲みました。
周りを気にすることなく、がんがん飲んで、わいわいしゃべって、楽しい時間でした。
Y君、O君、Kさん、ありがとう。
また飲みましょう。

2005年4月19日(火)
重鎮恐るべし
昨日GPPJの重鎮お二人を、私、I氏、M君の三人で訪問。

私は都合で1時間ばかり遅れて行ったのですが、重鎮お二人が
熱い語りをしているそばで、I氏、M君が相槌を打ちながら
ひたすら拝聴しています。

私も様子が分からないのでじっと耳を澄ませていました。

分かりました、重鎮方はM君のリクルートしていたのです。

重鎮の一人Tさんは、自らは医療従事者ではありませんが、
長年歯科医師にドクタービーチのメソッドを教えてこられた
かたです。

しかし、これはある種職人の世界ですから、熱意とスキルが
伴わなければいけないわけで、その意味でご多分にもれず
後継者難です。

そこでまだまだ若いM君に目をつけられたわけです。

重鎮恐るべし。

もともと、お互いのグループがやっていること、考えていることを
すり合わせて、何か連携できるかどうか話しましょう、という趣旨で
集まったはずなのですが、30枚くらい上手でした。

戸惑ったのはM君です。

「M君、良いお話ではありませんか、がんがんやりなさい」

私はそう言って励ますのですが、M君はものすごい不信な目で私を
見ます。

そこで重鎮Tさんの一言です。

「M君な、最初は無茶苦茶しんどいで、向いてないやつには絶対できへん
 からな、中途半端やったらやらんほうがましやで」

「いや、Tさん、M君やったらきっと大丈夫です。」

私が無責任に請合うと、M君の不信感はピークを迎えたようです。

今朝も電話がありました。

「M君、昨日はああ言ったけどな、Tさんがゆうてたことがほんま
 やと思うで。とりあえず、28日のセミナーの見学にいこか」

「ところで、Tさん、私には無理でしょうか?」

質問をしてみました。

「ああ、あんたは無理や、年もくうとるけど、それだけやない、
 あんた、あほな先生やったら、セミナーやめとけ、帰れとか
 言うやろ、そんなやったらあかん、ま、わしも若いときは
 そんなんやったけどな」

わし、しんどいねん、というわりには元気な重鎮です。
2005年4月17日(日)
福士の死
元プロ野球の投手、福士が死んだことが報じられていました。

福士は高校の時、クラスは一緒になったことはありませんでし
たが、同じ学年でした。

結局甲子園には出場できませんでしたが、プロのスカウトの
目にはとまっていたようで、巨人に入団が決まりました。

当時は松原と言っていました。

巨人では泣かず飛ばずでしたが、南海に移籍して目を出し、
その後広島に移り、広島時代は15勝を2度あげるなど、
一時はエース級の活躍をしました。

その後韓国に渡り、在日の韓国プロ野球選手の草分けとして
活躍しました。

私生活のトラブルもいくつか聞こえていましたが、最近は
消息を聞くこともありませんでした。

突然の訃報でしたが、和歌山のマージャン屋で、恐らく誰にも
看取られることなく亡くなったのでしょう。

ひょんなことから、彼とバッテリーを組んでいた捕手の男と
親しくなり、甲子園目指して頑張っていた頃の話や、巨人に
入団が決まった頃の話を聞くことが出来ました。

体のでかい割には結構気の弱いところがあったらしく、甲子園
出場を逃したのも、そのあたりが影響しているということでした。

彼の性格形成に、在日ということがどんな影響を与えていたのか、
私にはまったく分かりませんが、伝え聞くところによると、日本
でプロ野球に入団した時は、まだ外人枠での入団だったそうです。

韓国に渡っても、韓国語が全然話せないので、またまた外人扱い
されていたというふうに聞きました。

私と福士との唯一の接点は、校内の球技大会で、バスケットが
あり、審判の死角で胸をどつかれたことくらいです。

反撃しようと思いましたが、がたいのでかさと、腕の太さを
みてすぐに諦めました。

そんな福士でしたが、巨人に入団が決まると、元キャッチャーの
ところに夜中に訪ねてきて、マージャンを教えてもらっていた
そうです。

30年以上前に、わずか3年同じ学校にいたというだけの接点で
すが、何となくしんみりとしてしまいました。

合掌。



2005年4月16日(土)
例のMさんから呼び出し
一昨夜、食事を終わる頃、例の元大阪市関係者のMさんから
携帯に着信あり。

駅前のいつもの居酒屋で飲んでいるので、すぐに出てくる
ようにという命令。

実は前日にも連絡があったのですが、そのときもすでに
家にいたのでお断りしていたのです。

二日も続けてお断りするほどの勇気は、私は困ったことに
持ち合わせていません。

速攻かけつけました。

Mさんはいつもの通り熱燗です。私も家で焼酎が入っているので、
最初から飛ばしぎみです。

いつもいる、わけのわからんおばちゃん相手に、Mさんと二人
べっぴんさんや、と心にもないことを言ってリップサービス
をするので、和やかな雰囲気で盛り上がりました。

少し離れた席に30位の若者が一人で飲んでいます。

Mさんとは顔なじみらしく、他愛もない話をしていたところ、
なんと中学3年の時、私の娘と同じクラスだったと言うでは
ありませんか。

いやあ、世間は狭い。世間が狭いのではなく、要は近所の子
というだけのことなんですけど。

若いうちは生意気ぐらいのほうがええ、とか、爺に恐れ入ることは
ないとか、勝手な説教をかましておきましたが、何かのきっかけで
娘の耳に入るとえらいことになるのですが、その時はその時で、
酔っ払っていて記憶にございませんと言って言い逃れるしかありません。

芝居の稽古帰りの家人にピックアップしてもらって、家に帰り着いたら
1時を回っていました。

金曜日の朝は体が妙にだるく、始動が昼ごろまでずれ込んでしまいました。

日本酒は残る。
2005年4月15日(金)
反日騒動
中国のことを少し書いてみようと思います。

中国の歴史上、最も領土を広げたのは毛沢東です。

国民党を台湾に追い落とすや、すぐにチベットを武力により
占領しました。

かの乾隆帝にもできなかったことです。

何年か前、新地で飲んだ店に中国人の留学生がいて、少し
話したことがあります。チベット占領をどんなふうに教えられて
いるか聞いてみたのです。

あれは侵略ではなくて、チベットに頼まれてやったことだ、という
のが答えでした。小学校からそう教えられているそうです。

勝手に押しかけてきた、ということで言えば、日本に押しかけられた
中国と、中国に押しかけられたチベットは、同じことだと思うので
すが、事実を教えない社会ではこんな常識は通用しないのでしょう。

それよりも、中国の歴史を見ていて思うのは、そもそも中国には近代
国家という概念はありえないのではないか、ということです。

あの広大な土地を、誰が支配するかということだけがあるように思えます。

清王朝は、わずか30万人程度の満州族が作ったものです。

ヨーロッパでは、あんな狭いところで、民族や宗教の違いで独立国家を
作りたがることに比べると、中国はなんとも鷹揚でいい感じです。

中国とかロシア、あるいはアメリカといった大きな国は、ひとつの国家
としてイメージしずらいですが、日本とかイギリスとかという島国国家
は、わりと単一なイメージを持たれやすいのではないでしょうか。

イギリスなんか、イングランド、スコットランド、ウエールズといった
具合に、数百年前はばらばらな状態だったのですが、近代国家を形成
する過程で、国家としては一つになりましたが、当然過去をひきずり、
そのことをようやくわれわれも理解するようになりました。

単一で一枚岩の国家なぞ、どこにも存在しないのは少し考えれば
わかることです。

今回の反日騒動で、日本国内からは、今のところ反中国キャンペーンの
ようなものが大きく出ていないのは、少し救いかなと思います。

私が高校生、大学生のころの中国といえば、共産党が権力を完全に握り、
日本に対しては、「政治権力と人民は別」という原則で(これ自体
胡散臭いですが)、深夜の北京放送を通じて人民との連帯を呼びかけて
いたものです。

そして文化大革命については、朝日をはじめとするジャーナリズムや、
知識人、政治家の中に全面的に肯定する人たちがいました。

私は、働き盛りのおっちゃん連中が、本気で文革をやっているとは
とても信じられませんでした。つきあいででもやっておかないと、
自分の身が危ない、ということになれば、誰でも「造反有理」とか
言ってしまうと思います。

そんな時代から比べると隔世の感があります。

中国には中国の事情があってイライラすることが沢山あるのでしょう。

日本だって、昔は反米愛国とかいって、戦後復興の世話になりながら
文句を言ったり暴れていた時期があったのです。

中国との間では、これだけ人の往来も自由になっているのですから、
報道に振り回されるのではなく、市民レベルの感覚を大事にしたい
ものです。

この際、現在日本国内に居住する中国の人たちと、宴会している様子を
インターネットのライブ中継で流すとか、いろんな手段で、日本人が
普通に中国の人たちと遊んでいる姿を発信してみてはどうでしょう。



2005年4月12日(火)
タウンミーティング
朝日新聞の夕刊に、米国での経営者経験を、日本での経営に
生かしている経営者の連載記事が載っている。

その中に、米国法人で行っていた従業員とのタウンミーティング
の話がありました。

「社長は売上と利益、どちらを最優先にするのか」
といった質問が、一般の従業員から発せられ、経営者もそれに
きちんと応えるそうです。

その社長は、帰国後日本でもやってみたそうですが、すぐに
止めたそうです。

日本ではまず質問が出ないというのが理由です。

確かに、こんなことを言えばどう思われるのだろう、という
気持ちが先に立ってしまうところがあります。

質問されたほうはされたほうで、あんなところで俺に恥を
かかせやがって、ということがままあるわけで、それなら
余計なリスクを回避しようとなるわけです。

親が子供に「怒らないから本当のことを言ってみなさい」
と言うから本当のことを言うと思い切り怒られた、こんな
経験が刷り込まれているのでしょう。

しかし、ここは実はチャンスなんですけどね。

何を、どういうふうに言えば気持ちよくなってくれるのか
が分かっていれば、思い切りよいしょしとけばいいわけです。

このあたりは、日本人も米国人もそう違わないと思うのですが、
どんなもんでしょう。

2005年4月11日(月)
つれづれ
今日はこれといってネタがないので、日記はやめておこうと
思ったのですが、何となく気持ちが落ち着かないので、ヤフーの
ニュースを眺めたり、頭の中をいろいろと探ってみました。

中国、韓国での反日騒動の報道は決して愉快なものではありま
せんが、一方的に騒いでいることに対し、一方的に弁明しても
かみ合うはずもないのは当然です。

ただ、小泉以下政治家が木で鼻をくくったような物言いをする
のはいやな気持ちにさせられます。

こっそり正月に靖国神社に行くくらいなら、首相在任中は参拝
しないと言ってしまえばいいと思います。

それはさておき、野茂が今季初勝利をあげました。
めでたいことです。

決してしゃべりはうまくありませんが、やりたいこと、やるべき
ことを、自分の意思で貫くところが好きです。


前職時代の後輩のM君は、私より先に前の会社を辞めたのですが、
先日聞こえてきたところによると、今の会社で新しく開発した
システムが認められて、表彰を受けたそうです。

M君も決して自分をひけらかす人間ではなく、周りのことも
しっかりと考えて仕事をするタイプでした。

ただ、周りがあまりにも頼りないときは、喋りが過激になる
きらいはありました。

それはそれとして、新しい職場で自分の力を発揮し、それが
みんなの役に立っているということは、本当にめでたいこと
です。
2005年4月10日(日)
花見
家人と二人で花見に行ってきました。

電車で和歌山まで出て、デパ地下で弁当(山菜おこわがおいしい)を
買って和歌山城まで歩く予定でしたが、えらい風でした。

この風では弁当を広げても埃が舞っておいしくない、ということで
意見が一致し、駅の地下にある焼き鳥屋に直行です。

ここは以前和歌山に勤務していた頃によく通った店です。

味は一緒でした。

生ビールを流し込みながら、つくね、ずり、ねぎま、等々を腹に
収め、仕上げは鶏弁当(鶏の照焼きが乗って、たれが程よくかかって
います)でした。

腹もできたし、このまま帰るかと言っても許してはもらえません。

和歌山城までの道中に、伊賀焼を置いている店があるので、しばらく
そこをひやかしてようやく桜見物です。

ひどい風でしたが、その風にあおられて花が散っていました。
まるで雪が降るような風情でした。

小学生の女の子が、袋を持って花びらを集めていました。

お城の中のお茶席で抹茶を一服いただいて帰りました。

行き帰りの話題は、孫のことが中心でした。

下の孫がとにかく大食いで、それも口の中に入るだけ頬張ってしまい、
あふれそうになっても何とか飲み込んでしまうという家人の話です。

亡くなった私の父も、食事の時に思いっきり頬張っていたので、
そのことを言うと、父の場合は軍隊でついた習慣である、それと
孫を一緒にすべきではない、というのが家人の意見でしたが、
孫にとってみれば、上が二人もいるわけで、今が生存をかけた
戦争状態かもしれません。
2005年4月9日(土)
昨日の出来事
昨日の朝、電車の乗り換え駅で変なおっさんを二人も見ました。

一人は向かいのホームで、意味不明の、しかし怒っているらしい
ことは分かる、言葉を吐き散らかして、ふらふらと歩いていました。

まったく周りを意識していないのかと思って見ていると、そうでも
なくて、近くの人とはぶつからないように歩いています。

もう一人は、同じホームで時々痙攣的に大声で笑いながら、ホームに
身を乗り出してきょろきょろするおっさんです。

変なおっさんは、確かに昔からいましたが、私の感覚ではそういう人
は、だいたい大都市の地下とか公園に生息しているものでした。

私が住んでいる、大阪府でも最南端に近い田舎にまで出現するという
ことは、絶対数でも人口比でも、変なおっさんが増えているのでは
ないでしょうか。

そういえば、のぞみの車掌さんが、いきなり殴りつけられたことが
報じられていました。

社会全体のストレス圧は相当高くなっているようです。

いわゆる境界例が境界例ではなく、数が増えれば一般的になってきて
いるように思います。

人と人との結びつきを弱める力が働き、ばらばらの個がむき出しに
ならざるをえない社会がやってきています。

われわれ日本人は、このむき出しの個というものに慣れていません。

高度成長以前の日本を描いた宮本常一さんの本を読むとほっとします。

あの時代の日本人が持っていたメンタリティは、本当になくなったの
でしょうか。それとも、心の古層として生きているのでしょうか。

桂枝雀さんの、人間ぼた餅論を思い出します。


昨日はI氏、M氏とやっているプロジェクトの日でしたが、I氏は
まったく頭になかったようで、あまりに遅いので電話してみると、
「はぁ、」という感じで流会でした。

仕方がないので、M氏と雑談兼情報交換で過ごしました。

前の会社の話をお互いにしていると、私がえらい好き勝手にしていた
ことに、今更ながら気づかされました。

そうか、これからはもっと淡々と生きていけばええんやないの、と
思えた有意義な日でした。





2005年4月7日(木)
GPPJ
昨日GPPJの集まりに出席。

事務局、ドクター、衛生士、一般人といった顔ぶれで、市民への
浸透について侃々諤々する。

事務局のMさんが作ったパンフレットのたたき台を、全員で本当に
たたく。

Mさんはもともと広報・宣伝をやられていたので、失礼ですが、
あのお年でここまでやられるのは珍しい。

医療サービスの提供者側の発想ではなく、一般市民の視点で作る
必要があるのですが、分かりやすさにばかりこだわるよりも、ある
種の違和感を感じさせるような内容のほうが、面白いのではないか、
というのが私の感想です。

提供する側は、分かりやすさを意識しすぎて、幼稚な内容になり
がちですが、それではインパクトがありません。

今はアクティブな層を作り出す時期ですから、どこかにこだわりを
表現した内容にしたいものです。

それにしてもみなさんお元気です。

大半が60台の方ですが、頭も口もお元気で、社会的な活動を
されている方々ですから、結構人の話を聞いた振りをしながら、
自分の意見はしっかり主張されます。

事務局のMさんの苦労が偲ばれます。

この集まりの面白いのは、ドクターも衛生士も一般人も、同じ目線で
議論しているところです。

結局、同行したI氏が改めて原案を作ることになりました。


2005年4月4日(月)
家人の悩み
個人情報保護法が4月1日に完全実施されました。

先日(3月の末です)テレビを見ていて、ドラマのあるシーンで、
スーパーで品物の整理をしている従業員が、館内放送で名前を
呼ばれて、レジに行ってくださいと言われていました。

「不特定多数の前で、自分の承諾なしに名前を呼ぶのは困る」
個人情報保護法がスタートしたら、従業員からこんなクレーム
が会社に持ち込まれる可能性がある、という話をしました。

すると家人が、そんなことより、Mさんの奥さん何とかして
欲しいわぁ、と言うのです。

聞いてみるとこうです。

スーパーとかで、あっいるなと思って、気配を消して、目を
合わせないようにしていると、向こうが見つけてしまい、
大きな声でこちらの名前を呼びながらどどっと近寄ってくる
そうです。

そうなると一時間、下手をするとそれ以上、一方的に家庭の
自慢やら愚痴やらのごちゃ混ぜの話を聞かされるのです。

あんなんを取り締まることができる法律はなんでないん?

う〜ん、それはむずかしなあ、とりあえず、感性を鋭くして、
気配を察知する、それか、立ち回りそうなとこには、相手の
行動パターンを研究して、同じ時間帯には近寄らんように
するとか、自分で何とかするしかないわなあ、これが精一杯
のアドバイスでした。
2005年4月1日(金)
終身雇用と年功制
報道によると、終身雇用制と年功制の支持が前回調査より増加して
いるとのこと。

終身雇用制で「良い」または「どちらといえば良い」が78%、
年功賃金では66.7%が「良い」または「どちらといえば良い」
と答えたそうです。

調査対象の年齢別のデータとか、詳細は紹介されていませんが、
私は増加したことよりも、もともとの数字の高さに驚きました。

能力主義や成果主義が定着しないのは当然のことです。

私は決して能力主義や成果主義を全面的に肯定する立場ではあり
ません。

それよりも、企業が推し進めてきた成果主義が、いかに地に足の
着かないものだったか、経営者はこうしたことに頬かむりをし
続けていけると思っているのだろうか、こうした疑問がわいて
きます。

最近話題になっている、文化資本による二極階層分化の一つの
表れとして、若年労働者の競争からの逃避という面が現れている
ようにも思えます。

親の世代のようにはなりたくない、と思った最後の世代が団塊の
世代とするならば、現在の若年層は成長過程の中で親が提供した
環境が、その後の人生を決定する大きな要素となっているわけで、
最初から競争の土俵に上がる気持ちがないわけです。

これは良い悪いの問題ではありません。

こうした若年層からすれば、競争の有無に関係なく、終身雇用を
してくれて、賃金も年齢とともに上がれば、基本的に不満はない
はずです。

一方で、競争の頂点に立てなかった中高年も、周りがリストラさ
れ、あるいは自分もいつその対象になるかもしれない状況の中で、
終身雇用、年功賃金にノスタルジーを持つのもうなずける話です。

ところが、面白いことに、福利厚生費用については、給与に含める
ように要求しているのです。

福利厚生の会社丸抱えはいや、というわけです。

一方で、ホリエモンのような、上昇志向の強い層は、ますます先鋭化
し、大衆社会を軽蔑しながら一種のトリックスターとして生きていく
のでしょう。

衣装を変えたファシズムの時代の予感がします。


携帯電話見つかりました。
2005年3月31日(木)
近況
飲みが続いて日記がご無沙汰になりました。

28日は個人情報保護法とプライバシーマーク制度の説明に
A社を訪問。

一般論を中心に説明。

次回は医療関係に絞った具体的な情報を提供することになった。

その後、薬事法改正とEANコード対応についての話を伺う。

夕方K社長にご馳走になる。

寿司をほうばりながら、鰭酒をぐびぐびと飲む。美味。

短期間に会社を成長路線に乗せた社長の話には説得力があり
ました。業種にもよるのでしょうが、ネットを商売の道具と
することには否定的な意見であり、最近の私の考えと一致
していたので、心強く感じる。

やはり、アナログの人と人のつながりを作ることが商売の
基本であり、そのネットワークがある閾値を越えないことには
ネットの情報発信もあまり効果はないとのこと。

29日、夕方最寄り駅で電車を降りたところMさんに呼び止め
られる。

Mさんとは、互いの息子が小学校以来の親友ということもあり、
息子どもが少年サッカーをやっていたころからたまに飲む
ことがあります。

駅前の居酒屋で日本酒を飲みすぎてふらふらになりました。

Mさんは以前大阪市の関係のお仕事をされていたので、話題は
市職員の空残業、手厚い補助へと流れました。

うっかりマスコミの尻馬に乗った市職員批判をするところ
でしたが、Mさんはどうやら元同僚たちをかばう気持ちが
強いとお見受けしました。

こういう場合、私の変わり身は早い。

Mさんが話しやすいように、実際のところはどうなんです?
といった質問をして、マスコミには流れない情報をいろいろ
お聞きしました。

家人も合流して、結局1時ごろまで騒いでしまいました。


30日は、移転オープンした完熟トマトに家人とともに行って
きました。

だいたいの見当をつけて行ったのですが、場所がわかりません。

20分くらいうろうろしてようやく見つけました。

前の店のように、穴倉の奥というわけではありませんが、細い
路地を入った場所だったので探すのに手間取りました。

こじんまりとした、なかなか感じの良い店です。

不良中年3人組がまだ来ていないとのこと、いずれ来襲して
元の店のような雰囲気にしてしまうのでしょう。

私も雰囲気作りに一役買う心積もりではあります。

酒肴は相変わらず何を食べても美味。

日本酒を飲みすぎ、帰りはふらふらでした。

おかげで携帯電話を落としてしまい、現在捜索中です。

携帯電話受信停止の手続きをとったので、現在つながりません。

緊急の御用の方は

06−6776−7800  または 0724−73−1892

までお電話ください。

2005年3月27日(日)
3人目の孫
3人目の孫が面白い。

5月に2歳になるのですが、上が二人いるせいか、いろいろと
技を持っています。

大人の頭を突然張り倒し、「こら、なにすんねん」と怒られると
瞬間的に死んだふり(寝たふりかもしれません)をして、相手の
言葉を聞こえないことにしてしまいます。

相手が曾ばあさんになると、怒るどころかえらい喜んでもらえる
そうです。大人どうしではなかなか素直になれない年寄りも、相手が
曾孫だと何をされても嬉しいようです。

大人の人間関係でも、同じことをされても腹の立つ相手と、笑って
許せる相手がいますが、こんなに幼くても許してもらえる相手か
どうかを選べるわけですから、子供は侮れません。

そうかと思えば、娘が何気なく「上の二人は手がかからくなった
けど、一人はまだまだ大変で」といった話をしていると、横で
聞いていて、いかにも不満そうに唇を突き出しているそうです。

自分の名前が直接語られなくても、話の流れで自分のことだと
分かるようです。

話の中の登場人物を区別し、登場人物の一人が自分であると
理解できるということが、すでに可能ということはちょっと
驚きました。
2005年3月26日(土)
土曜出勤
朝から事務所に出て仕事。

頼まれた書類を二通作成し、午後はI氏、M氏と打ち合わせ。

久しぶりにブレインストーミングをする。
アイデア出しで頭が硬くなっているのを実感する。

整理や分類の仕方ばかりが達者になってしまい、肝心のアイデアが
枯渇してきたのだろうか。酒量が減ったことも影響しているのか?

M氏に甲野善紀さんのDVDを貸す。

ついでにお楽しみDVDソフトを勧めてみるが、パソコンでDVD
が見られないとのこと、残念でした。

I氏はパソコンに続いてプリンターも壊れてしまい、昨日購入した
とのこと。金のないときほど、なんやかや出費が嵩むのはいずこも
同じである。
2005年3月25日(金)
寒い
火、水、木と事務所でごりごりと資料作りにいそしんでいました。

まだ半分くらいしかできていませんが、今日は昼から客先に行って
きました。

真冬が突然戻ってきたような気温で、ぶるぶる震えてしまいました。

久しぶりに家人と二人鍋をつつきながら焼酎のお湯割をぐびぐび
飲みました。

家人は昨日芝居の仲間の食事会に参加したのですが、これがなかなか
大変だったようです。

別に誰かが暴れたわけではないのですが、その場にいない人の悪口
やら、勝手な自慢話やらで、相槌を打ちながらひたすら飲んで食って
いたそうです。

サラリーマンではなく、自発的な意志で参加している集まりですから、
いやなら辞めるというのが自然な身の処し方だと思うのですが、そう
もいかないようです。

恐らく、どんな集団に参加してもそういう人たちは同じ行動パターン
でしょう。

自分がどれだけ評価されていないか、あるいは誤解されているかを
主張し、それに同調してくれる人が良い人に思える、こうした構造は
なくならないでしょう。

自分にできることは、感覚を磨いて、できるだけそういう集まりは
避けるようにすることぐらいでしょうか。
2005年3月23日(水)
コミットメント
ソニーの出井さんが退任するに当たって、社外取締役のゴーンさんが、
出井さんの営業利益率10%を、それはコミットメントか?と問いただし、
出井さんが答えに窮したということが伝えられています。

ゴーンさん自身は、日産に乗り込んで以来常にコミットメントを実現
したわけであり、当然のことを要求されたのだろうと思います。

しかし、この前提には、互いの役割と機能について、明確に定義し、
文書化する文化があるのではないでしょうか。

企業で言えば業務定義書とでも言うのでしょうか。

これがあるから契約も本来の契約として機能するのでしょう。

たとえば、目標管理制度にしろ、成果主義にしろ、日本に定着しない
理由は、実は日本の文化はコミットメント文化ではないということで、
根は一緒のように思います。

契約ひとつとっても、締結時にこと細かく検討・吟味するのは、
商売上の特殊な場合に限られ、たいがいもめたときに初めて
じっくり目を通すのではないでしょうか。

こんなふうに、契約とコミットメントということは、実は密接に
結びついた文化であると思います。

人事考課の主流になっている目標管理制度の基本に流れる考え方も、
このコミットメントということがあると思います。

目標管理制度の本来の趣旨は成果主義ではない、といったところで、
成果を目標と置き換えれば管理と評価がやりやすくなるのは事実です
から、大勢はそちらに流れてしまうのはやむをえないと思います。

とは言っても、コミットメントのない土壌に、制度だけを移植しても
根付かないのは当然のことです。

だからと言って、大きな所帯になっても、トップが鉛筆なめなめ
社員の評価をしているのもいただけません。

線を引いて細かく区分・分類するのではなく、だいたいこんなもん
でええんとちゃいますか?

こんな感じで組織を運営できないものでしょうか?

一本筋の通った柔構造組織、そんな組織論を夢想します。

丁度お寺の五重塔のように。
2005年3月22日(火)
カリスマ経営者の黄昏
中内功、藤田田、出井伸之、堤義明、海老沢勝二という5人の元経営者を
とりあげた番組を昨日見ました。

朝のワイドショーの中の特集として、コメンテーターに作家の佐野眞一さん
を迎えての放映でした。

カリスマ経営者は、なぜその座から落ちたのかというテーマです。

佐野眞一さんは

1.時代の変化の変化を読みきれなかった。

2.組織の中で裸の王様になっていまい、情報が下からしか来なくなった。

3.後継者を作らなかった。

以上の3点を転落の理由に挙げていました。

私はこの3点は、ある原因のもたらした結果のように思います。

5人いずれも何万人規模の組織の頂点に立っていたわけですが、頂点から
組織をコントロールできるという自信があったのではないでしょうか。

何段階もの階層を必要とするピラミッド型の組織構造で、そのトップが
直接コントロールすることは、物理的に不可能です。

明示的な指示・命令は、間に人を介することで、必ず解釈や誤解が混じり
正確に伝わることはありえません。

コントロールはできないけれど、一方で頂点の存在は組織に影響を与え
ないではすみません。影響を感受する側は、必ず調和的な行動をすること
で、組織の安定を図ろうとします。

これは組織の力学上の特性として避けては通られないものだと思います。

一般的にも該当することですが、上記の5人のような、パワーと実績を
兼ね備えた経営者の場合、この力学が強烈に働くのは想像に難くありま
せん。

私は、上記の3点はこうしたことの結果として現れた現象のように思い
ます。

「組織の頂点から組織はコントロールできない、しかし頂点は組織に
 必ず影響を与えずにはおかない」

このことを、自身の思考や言動に繰り込んで経営を行わなかったことの
つけが回ってきた、というのが私の結論です。

頂点に立てば、自分のことを相対的に見ることが難しくなります。
自分を相対的に見る視点は、自分で持つしかない、ここにもトップを
続けることの困難さがあるのでしょう。
2005年3月20日(日)
近況
先日パソコンがクラッシュしたI氏とM君の3人で、ある提案の
打ち合わせをしました。

それぞれ得意分野が違うのですが、ベクトルを合わせようという
点については一致しているので、議論が散漫になることが少なく、
なかなかええ感じです。

誰かに命令されてやっているわけではないので、安易に流れる
可能性もある反面、自由に発想し、対等に議論できるのは
精神衛生上大変快適です。

議論すればするほど、やるべきことが増えるのですが、この
集まりは大切にしていきたいものです。

打ち合わせ後I氏と居酒屋へ直行。(M君は私用のため帰宅)

10時過ぎに、閉店ということでお開き。

完熟トマトの新装開店が待たれます。


昨日はITC−Laboのセミナーに出席。

講義形式をできるだけ避けて、出席者によるグループ討議の
時間を多くとる進め方なので、いろいろと刺激になります。

ITコーディネーターの業務プロセスが定義されているのですが、
成果物の作成を目的にすることなく、プロセス毎の目標を
しっかり押さえて、目標が達成できているかどうかについて
きちんと評価することを最優先にするべきである、というのが
主催者のK先生の教えです。

しごくもっともなお話ですが、これが結構実践することが
困難なものです。こちらがぶれることを怖がれば、どうしても
書かれたものに従った進め方になりがちです。

もう一つ、ITコーディネーターのプロセスガイドラインについて、
これはITコーディネーターのバイブルですという方もいらっしゃる
ようですが、私はあくまでもガイドラインとして取り扱うべき
だと思います、ということもおっしゃっていました。

これについてもまったく同感です。
2005年3月17日(木)
孫の話
家人から聞いた話です。

4歳の孫がスイミングスクールに通っているのですが、先日クラスが
上がり先生が変わりました。

それまでは、非常にやさしい、自身も母親の先生だったのですが、
若い、大柄の男の先生に変わったそうです。

孫は大柄の先生が怖くて泣いてしまったそうなのですが、先生に
抱き上げられて、どうしたの、と聞かれました。

とっさに、怖くて泣いたと言うと先生に悪いと思ったようで、
眠たかったから泣いた、と応えたそうです。

このあたりの話は、スクールのコースが終わったあと、娘が孫から
聞いたわけですが、すぐに先生に娘が呼ばれて、本人がいやなら
クラスを変えましょうかと申し出られたそうです。

大変に感じの良い対応だったので、娘が孫に、優しくていい先生
だったと言うと、孫も納得して次回も同じクラスに通うと言った
そうです。

4歳の子が泣くという行為を記号として見た場合、このシチュエーション
では、その意味が確定しませんでした。

先生も、まさか自分のことを怖くて泣いたとは思ってもみませんでした。

そこで先生もどうしたの、と聞いたわけですが、孫はその時、怖いと
いう気持ちを、眠いという意味に読みかえて伝えたわけです。

そして、この読みかえが前後の文脈の中で、疑問をもたれないで通用する
ということを知っていた、ということが驚きです。




2005年3月16日(水)
I氏のパソコン
I氏の年代もののパソコンが少し前にクラッシュし、結局
買い替えて、昨日ようやく使える状態までもっていったと
のこと。

以前から調子が悪いという話は聞いていたのですが、そこは
零細業者の悲しさ、とことん困るまではなかなか投資でき
ません。

データのバックアップも完全ではなく、その復旧にも結構
時間がかかりそうです。

I氏は、広告宣伝関係という仕事柄、パソコンなしでは
日々の仕事がまったくといっていいほど出来ません。

私も人ごとではないと思い、CDを買いに走ったのですが、
うまく書き込めません。

どうやらオーディオデータ書き込み専用のCDだったよう
です。

企業向けにはまたぞろシンクライアントPCが復活しそうな
気配ですが、自営業者にはなじまない話です。

やはりUSBメモリーにしようかなあと考える今日この頃です。
2005年3月15日(火)
劇団フォルム夏公演
劇団ふぉるむ夏公演(たぶん7月)は「煙が目にしみる」です。

家人もそろそろ公演に向けて活動開始。

今日は朝から衣装をつけた写真撮影に出かけました。

今回は喪服が中心で、衣装を作る必要がないから楽と言っていました。

何の当ても無いまま会社を辞めてしまった昨年の今頃は、彼女が丁度
芝居が面白くなった時期と重なり、彼女としては悩んだ時期もありま
したが、やってみて駄目だったらその時考えようという、これまでの
お互い共通のスタイルを貫いて今日まできました。

昨年の公演の後、研究生になることができ、私が見ていても生き生き
しているのが分かります。

朗読劇では経験できない、芝居の醍醐味、そして、Not too Late
ということの意味を全身で感じているようです。

逆に私のほうが、サラリーマンを辞めて以来、自分を集中する対象を
絞りきれていないなあと思う今日この頃です。
2005年3月14日(月)
フジの対抗手段
ライブドア VS フジ の件が連日報じられています。

取引停止とか、ポニーキャニオン株のフジへの売却とか、
何とかニホン放送の企業価値を下げようというアドバルーンが
上がっています。

しかし、これとても株主代表訴訟を起こされる可能性のある、
非常にリスキーな対抗手段のようです。

こんなややこしいことをする必要はないと思います。

現在の企業価値を構成しているのは、フジサンケイグループの
一員であるということだけではないはずです。

見えざる資産としての人材がいればこそのニホン放送であると
思います。

その人材が、合法的に、一度に大量に会社を辞めれば企業が
成立たないはずです。

株の買占めに大金をはたくよりも、人材の獲得に金を使う
ほうが、よほど理屈にあっていると思います。

フジサンケイグループ全体で、ニホン放送の社員を抱えて
しまうというのも面白いのではないでしょうか。
2005年3月13日(日)
最近読んだ本
最近読んだ本のことを書いてみます。

以前から「意識」についての関心は強くあり、この関係の本は
読んでいたのですが、最近相次いで2冊読みました。

「意識とはなにか」 茂木健一郎著  ちくま新書

「<意識>とは何だろうか」  下條信輔著  講談社現代新書

いずれも「意識」を正面から主題にしているのですが、アプローチは
違います。

前者は「クオリア(質感)」という言葉をキーワードに、私たちの意識
が、世界を受容するその現場を捉えようとする(したがって、現象学的
なアプローチのようにも思えます)し、世界との関係では「生成」とい
うことに重点を置いています。

一方後者は正統派の認知科学の成果を最大限紹介しながら、それだけ
では説明のつかない問題を提議し、脳と身体の関係を解明していこう
としています。

私にとってはいずれも興味深く読めました。

「身体から革命を起こす」  甲野善紀  田中聡

最近各方面で注目されている甲野善紀さんの本です。文章は田中聡さん
が書かれていますが、内容は甲野さんそのものです。

古武術の枠を超えて、身体運用術として、スポーツのみならず、音楽、
舞踊、介護にまで応用をされていることが紹介されています。

近代の身体運用術が、一通りのメソッドでしか成立っていないことを
指摘され続けた甲野さんですが、自身が掘り起こし、また新たに発見
されている身体運用の方法論が、非常に応用範囲の広いものであるこ
とがよく分かります。

私が特に関心を持つのは、介護をする人たちのための身体運用です。

もうじきこのテーマに絞った本もでるようですので、今から楽しみ
です。

「現代思想のパフォーマンス」 難波江和英 内田樹  光文社新書

これは、ソシュール、バルト、フーコー、レヴィ・ストロース、ラカン、
サイードという6人の現代思想の大御所を取り扱った本です。

しかし、まえがきにも書いてあるように「概説」ではありません。
案内編、解説編、実践編という構成になっています。

案内編では、それぞれの思想家の経歴や業績について全般的な解説を
おこない、解説編では、各自のキーポイントとなる思想の方法をてい
ねいに説明している。実践編では、解説編で取りだされた思想の方法
をツールとして利用しながら、文学や映画を実際に読んでみる。


このまえがき通りの構成になっていて、私のように実存主義にどっぷり
つかり、吉本隆明で何とか社会に出られたような人間にとっては、本当
に良い刺激になりました。

たとえばソシュールの言語論の実践編などを読んでいると、孫たちが
言葉を獲得していく過程の意味がよく分かってきます。

これはもともとこの本の狙いが、思想の解説にではなく、使える道具と
しての側面にあるからです。

確かに数ある現代思想入門関係の本の中でも出色です。

現在二読目に入っています。
2005年3月12日(土)
ライブドアのこと
ライブドアの差し止め請求仮処分で、ホリエモンが勝ちました。

法的係争として見た場合には、明らかにニホン放送、フジ連合
が不利でしたから、こうした結論が出てもなんら不思議ではあ
りません。

ホリエモンに株を買い占められて、あわてて放送の公共性云々
をする姿は、あまり見よいものではありませんでした。

まして仮処分が出るやいなや、会ってもいいとか、メリットが
あるなら提携も視野に話し合う、こんなことなら最初から会えば
いいのです。

それから服装の件。

別に服が仕事をするわけではないのですから、どちらでも良い
と私自身は思います。

もちろん、それぞれの趣味や考え方で、私はあんな服装をする
人間は、それだけで信用しない、という人がいても、それは人
それぞれですから否定するつもりはありません。ただし、それを
他人に強要しないでくださいとお願いするだけです。

ただ、ホリエモンの人生観が「金で買えないものはない」という
ところから変わっていないかぎり、買われた会社の従業員は大変
だろうなと思います。

株数よって、企業に対する支配権が手に入る、ということ自体、
経営ということの本質からはずれています。

社会的な存在としての企業は、その活動を通じて何らかの価値を
実現することで存在理由を認められるものですが、支配の発想
からは価値実現の筋道が見えてきません。

資本主義のルールの中で、ルールに抵触しない限りは権力欲を
満足させてどこが悪い、という生き方は私が最も拒否するものです。

ホリエモンの支配下におかれる企業の皆さんは、企業の外にも
資本主義の多様な世界が広がっていることに思いをめぐらせて
欲しいものです。
2005年3月10日(木)
富士通のこと再び
昨日、元富士通の方二人と飲みました。

一人は10数年来のお付き合いのある方で、数年前からディーラー企業に
出向され、昨年末に転籍されたUさんです。

もう一人は、ITC−laboの集まりでたまたま言葉を交わした方で、
Sさんと言います。Uさんのことを私が知っているということで、一度
三人で飲みましょうということになり、ようやく昨日実現しました。

Sさんは私と同じように、今は企業に属すことなく活動をされています。

Sさんから有意義な話をうかがいました。

「人に仕事のお願いするときは、多少の泣きを入れて、相手に何とか
 してやろうという気になってもらうのが有効です」

言われてみると、私の場合は根がえらそうに受け取られるところが
多々あるようです。

決して外見ほどえらそうなわけではありませんので、みなさん、
そこのところ、よろしくお願いいたします。

以前と違い、パソコンまわりのワークもそこそこ出来るようになりました。

ところで、話題の中心はやはり不振を極める富士通のことです。

黒川社長自身は相当の危機感を抱いているようですが、そこから下に
なかなか思いが伝わらないようです。

以前にも書きましたが、顧客から見て、富士通の富士通らしさを体現
していた、野武士のような人材がどんどん排斥されていった結果が
現在の不振の最大の原因であるというのが私の見方です。

人材の払底というのは、本当に根の深い問題であり、一朝一夕で解決
できることではありません。

富士通はみずからの人事政策の誤りにより、企業全体が2007年問題
に見舞われていると言えるのではないでしょうか。

人事政策の誤りは、結果が現れるのに時間がかかり、気がついたときには
有効な解決策を見出すのが困難です。さらに、問題の根本原因として取り
出すことが難しいという、いろいろな点で厄介な側面を持っています。

唯一考えられる解決策としては、過去のしがらみに囚われないトップを、
社外から招聘することくらいではないでしょうか。
2005年3月8日(火)
喫茶店でボー
60年代から70年代の歌が妙に懐かしく思われるのは、やはり
年をとった証拠なのでしょうか。

今日もふらっと入った喫茶店で、ダスティン・スプリングフィールド
の「この胸のときめきを」がかかっていました。(決してプレスリー
ではありません、プレスリーは大分後です)

この当時のアメリカンポップスでは、PF.スローンの「孤独の世界」
が一番好きでした。

そんなことが勝手に頭の中を流れていると、突然思い出しました。

フォークブーム全盛の頃、ガロの「学生街の喫茶店」だけはどうしても
好きになれず、理由を分析したことがあったのです。

「君とよく この店に来たものさ

 わけもなく お茶を飲み 話したよ

 −−−−−−−−−−−−−−−−」

生理的にうそくさ、と感じたのです。

作詞が山上路夫、作曲すぎやまこういち。

理由が分かりました、プロが作っていたのです。

はやりのフォークというやつをいっちょう作ってみるか、といった
のりで作っているとしか思えませんでした。

当時のフォークは、音符と歌詞の言葉が妙に字余り気味で、特に
吉田拓郎あたり、かえってリアリティが感じられたものでした。

ところが、学生街の喫茶店は、曲と歌詞がきちんと合っているのです。

感覚に届いてこない理由を見つけたということで、何となく落ち着いた
ことまで思い出しました。

その後の、堀内孝雄のようにぎんぎんの演歌路線に突っ込んでいく
連中が出てくる前、美しいメロディーを作っていた村下孝蔵は
すでに亡くなりました。
2005年3月7日(月)
ソニーのこと
朝から風邪。

熱は無いのですが、やたらと鼻水が出っ放しで止まりません。
ティッシュペーパーを軽く一箱空にしても足りません。

体中の水分が抜けていき、50男の干物が出来上がりそうです。

本を読む気力もないので、ぼんやりテレビを見ていると、ソニー
の経営陣が交代するというニュースが流れていました。

昨今の経営者の退陣のように、出井さんが晩節を汚しての退陣
ではなく、一部(とはいってもソニーのコアコンピタンスですが)
の業績低迷の責任を取り、同時に改革のスピードを上げることが
狙いとされています。

このこと自体は何も言うことはないのですが、気になったのは
新社長の発言です。

「ソニーは消費者の視点に立つことがここのところ弱かった、
 今後は顧客視点に立った新商品開発に注力をする」
という趣旨の発言だったように思います。

これは、言ってみれば「プロダクトアウト」から「マーケットイン」
への開発方針の変更というふうに読めます。

かつてソニーは、ウオークマンに代表される、それまで顧客が想像
もしなかった商品を作り出し、そのことが新たな市場を作ることさえ
ありました。

私はソニーのソニーたる所以はここにこそあると思うものです。

プロダクトアウトであろうと、マーケットインであろうと、供給側
にどんな考えであっても、市場は自立的に商品を判断します。

結果として売れたものに対して、理屈は後からついてきます。

結果として売れたものに対しては、理屈や物語が作られ、語られ、
それが人々の中に浸透することで、理屈や物語に吸収されなかった
ディテール、あるいは違った物語が成立したかもしれない可能性が
そこでは排除されています。

事後的に理屈や物語を後追いしても、同じ結果が得られないのは
自明のことです。

考えていること、もやもやした思いを整理するときのテンプレート
にはなっても、それ以上のものではありません。

ソニーの話から脱線しましたが、このあたりのことが文化として
定着しているはずのソニーのことですから、大丈夫だとは思います
が、若干の危惧は残ります。

2005年3月6日(日)
ITC−laboの引越し
昨日は朝からITC−laobo事務所引越しのお手伝い。引越しといっても
同じビルの8Fから7Fへの移動です。

総勢10数人でしたが、大半は40代以上のおっさん。

途中足の裏がつったり、キャビネットを運んでいて、指を廊下の壁との間に
挟まれたりと、いくつかアクシデントはありましたが、何とか大きな事故も
なく無事終了。

移動した荷物の片づけが大変ですが、これは当事者にしかできないことなので
後はよろしくです。

4時ごろにはあらかた終わり、さあどうしようということになった時、ある
方が、景品でもらったDVDレコーダーをテレビに接続。ソフトがないな、
と話していると、事務局長のHさんが、中国で買ってきたというディカプリオ
出演の海賊版DVDを引っ張りだしてきました。

音声は英語で流れるのですが、字幕は中国語です。

「我的**」とかいう字幕がどんどん現れます。

「ようわからん、一度英語の字幕にしてみたらどうや」という声があり、英語に
してみました。

単語を追っかけていると画面を見る余裕がありません。

結局よくわからないままでした。

5時から引越しの打ち上げ。

ビールがうまい。

私はlaboにはそう頻繁に顔を出しているほうではないので、最初は大人しく
皆さんの話をうかがう。

そのうち、laboの顧問であるKさんと最近の若いもんの話で大いに盛り上がる。

KさんはもともとIT系の方ではないのですが、以前に会社をいくつも立ち上げた
実業家であり、勤め人の経験がないとのこと。

そのためもあってか、今時の若いサラリーマンに対し、批判的、悲観的であった。

日頃考えている、中間管理職論や、プロジェクト論を思いつくまましゃべり
散らかすと、結構賛同していただいた。

その後、labo主催のK先生と話し込む。

K先生は、自社の事務所をITコーディネーターの任意団体であるlaboの
ために開放し、具体的に事業を展開していくための営業活動やら、支援、指導を
されている、志の高いかたであり、私は大いに尊敬しています。

昨年末以来考えている、地域ポータルによる地域活性化の構想をお話させて
いただいた。

なにしろ酒席での、それも結構量を飲んだ後の話なので、相当割り引く必要は
あるが、興味は持っていただけたようです。

現在作成中の企画書がまとまったら、まずK先生に目を通していただこうと
考えています。
2005年3月4日(金)
今日の教訓
昨日も完熟トマトで深酒をしていまい、結局天王寺泊まりでした。

11時頃のそのそと起きだして、午後の打ち合わせ用の資料を
作ろうと頭を切り替えるためにぼんやりとしていると、昨日急に
頼まれた用件を思い出しました。

理由は省略しますが、要は2つの異なる住所間の、正確な直線
距離を調べて欲しいという依頼がありました。

昨日梅田のジュンク堂に行って地図を見ましたが、正確に判断
できるものがなく、知人に聞いたところ、ゼンリンのソフトで
あれば何とかなるのではと教えてもらいました。

そこでゼンリンの営業所に電話して、午後ソフトを届けてもらい
ました。

そこからが大変でした。

インストールは何とかできたのですが、操作がよくわかりません。

昔から、まずマニュアルを見ないで直感的にやってみるというのが
私の主義です。

アイコン、マウスといった道具立ては、大昔サンノゼのゼロックス
の研究所で開発されたとき、人の直感で操作が可能なコンピュータ
というコンセプトで作られたはずです。

起点になる住所地をディスプレイ上にポイントし、固定することは
出来るのですが、終点を固定することができません。

たまたま別の打ち合わせで事務所に来ていたM君が、私の後ろから
画面を覗いていて、多分こうすれば出来ますよ、といって、チョイチョイ
と操作をすると、あら不思議、見事に距離が表示されました。

M君はまだ30代の前半です。

人間の直感に一般的な、誰にでも妥当する直感というものはない。
退化した脳は、退化した程度の直感しか発揮しないのだ、というのが
今日の教訓でした。

自営業者は、自分でできることは自分でするしかないのですが、少し
でも効率的に作業をするためには、問題解決のヒントや答えを呉れそうな
友人、知人を何人もっているか、これも重要である、これも教訓です。

M君ありがとう、助かりました。
2005年3月2日(水)
近況
26日以来日記が途絶えているので、とりあえず近況のみ記します。

26日の日記をアップしたのは午前中でした。当日夕方から
和歌山で旧友二人と飲みました。以前和歌山に勤務していた頃よく
通った店です。

マスターもママも、みんな同じように年をとってしまいました。
若干酩酊気味で、最後は相当わけの分からんことをほざいてしまい、
顰蹙を買ったようです。皆さんすみませんでした。

27日は家人の朗読劇の公演でした。
久しぶりに孫たちの顔を見ることが出来ました。会うたびに一番ちびの
語彙やら表情やらが豊かになって驚きます。家人の公演も回を重ねて、
特定の観客もついてきたようで、慶賀のいたりです。

28日は近畿経済局主催のIT補助金説明会に行ってきました。

国会で予算が承認されていない状況で、見切り発車の説明会です。
申請が承認されてから来年3月末までの予算申請になるのですが、
実際にはすでに開始しているプロジェクトが対象になるのは暗黙
の了解のようです。

それにしても手続きの煩雑なことは呆れるばかりです。

説明会の後前職時代の部下と飲みました。理解に苦しむ異動が
発令されたようですが、本人はいたって元気なので一安心です。
力を蓄えるための貴重な時間になるのではないでしょうか。

部下が帰った後、完熟トマトのマスターとラーメンを食べに行き、
結局天王寺泊りでした。マスター遅くまで付き合っていただき
ありがとうございました。

完熟トマトは3月11日から3月24日まで移転のため閉店だそう
です。新装開店は3月25日、場所はアメリカ領事館の近くに移り
ます。みんなで行きましょう。


1日はそういうことで天王寺で沈没していました。

今日は朝から税務署に行ってきましたが、書類の内容以前に、必要な
書類が用意されていないということで出直しです。

明日再挑戦です。
2005年2月26日(土)
社会保険庁のモラル
新聞によると、社会保険庁の幹部を含む237人の職員が、小泉首相の
年金加入情報を業務目的外で閲覧し、首相が不快感を示したということです。

福田前官房長官は11人、江角マキコさんは25人ということで、小泉首相への
関心が圧倒的です。江角さんに負けた福田前官房長官の感想を聞いてみたい
ものです。

私がよく分からないのは、「業務目的内」と「業務目的外」をどう区別したのか
ということです。端末は上司のカードを差し込んで使用するようになっていたそ
うですが、ほとんど差しっぱなしだったようです。

コンサルタントのみなさん、Pマーク取得をすすめるチャンスですよ。

それはさておき、入力画面で、「業務目的内」と「業務目的外」を選択するように
なっていたとは思えませんから、勤務時間内か勤務時間外で区別したのでしょうか。

あれだけ国会やマスコミで取り上げられれば、覗けるものならちょっと見たろ、
というのは人情でしょう。

このことを取り上げて、政治家のみなさんが「社保庁職員のモラル」を云々
するとは笑ってしまいます。

一億円の小切手を受取ながら、記憶がない方々です。

それにしても、社会保険庁は何故今頃こんなことを公表したのでしょうか。
これもよく分からないことです。普通に考えれば、改革に頑張ってます、
という姿勢を見せようとしたということなのでしょうが、ずれているとしか
思えません。

もう一つ、宮沢元総理が「ほりえもん」に「一生懸命やんなさい」とエールを
送っているそうです。敵対的買収に対し、商法違反すれすれの手段を使うという
泥仕合を呈している中で、袋叩きをしている爺ばかりではないという意味から、
これはなかなか笑える話しです。


2005年2月24日(木)
逃げる警官の話
読売新聞にこんなことが載っていました。

逃げる警官「弁解の余地ない」警察庁長官が陳謝

 東京・港区の路上で棒を手にした男(26)から3人の警察官が逃げ出す
場面がテレビで報道され、小泉首相が22日の閣僚懇談会で「逃げるとは何
事か」としっ責した問題について、警察庁の漆間巌長官は24日の会見で、
「実務経験の有無にかかわらず、逃げるという考え方を持つべきではない。
警察官は時に蛮勇を振るってでも立ち向かうべきで、3人には酷かも知れない
が、弁解の余地はない」と述べて陳謝した。

 漆間長官は、3人の警察官が、交通事故の110番通報を受けて事故処理を
するつもりだったと説明した上で、「そうではない場面に遭遇して頭の中が
真っ白になったようだ。3人は20歳から24歳までの若い警察官で、教育
を徹底させたい」と語り、全国の警察に訓練や教養の強化を指示したことを
明らかにした。

 事件は今月19日、東京・台場で発生した。乗用車で自損事故を起こした男
が、車の中で棒を振り回していたところに、3人の警察官が近づくと、男が車
外に出て向かってきたため3人は逃走。現場に放置したパトカーを奪われそう
になり、慌てて男を取り押さ
えた。

私はテレビを見ていないので、逃げた警察官のことをとやかくは言えません。

が、しかしです、一国の総理が閣僚懇談会で叱責する類の話でしょうか。
彼らは、身の危険を感じる感受性が狂っている、あるいは敏感すぎて、身を
守ろうとしただけかもしれません。

小泉総理の無意識の前提に、今の若いもんはだらしがないということがあり、
そうは言っても警察官がそれではいかん、今の若い警察官は大方こんなもん
ではないのかね、という気持ちがあったのかもしれません。

3人のしたことを、あるいはできなかったことをとやかく言う前に、自分自身
の、あの国民をなめきった国会答弁はどうなんだということになります。

われわれはこんなにも想像力の無い、言葉の怖さを知らない人間を国政の
トップに据えているのです。

それはそれとして、警察庁長官の言うとおり、今後若い警察官に教育が徹底
すると、ものすごく怖い社会が出現しそうです。

警察官に対し、少し抗議したり、反抗的な態度をとると、職務としての蛮勇を
振るわれ、米国のように抵抗する意志のないことを、態度で示す必要が出てく
るに違いありません。

2005年2月23日(水)
堤義明氏の件から思ったこと
西武の堤義明氏のことを見ていると、2代目経営者(創業社長ではないという意味
です)のことを、改めてあれこれと考えてしまいます。(あくまでも同族会社の場合
です)

改めてというのは、前職当時のことを思い出してしまうからです。

創業社長は、創業して会社が軌道にのるということそのものに、すでに物語が
あります。どんなに苦しいことを語っても、今は成功しているわけです。
意地悪く言えば、苦しい話をすればするほど今の成功が際立つわけです。

もちろん、今の成功から過去を再構成しない限り、物語は成立しないのですが、
そんなことは何の意味も持ちません。

2代目が苦しいのは、別に先代と比較されることだけではないはずです。

結果として成功した先代と、経験のない自分が違っていて当たり前、という
くらいの気概がなければ、いくら2代目とはいえ経営者には向いていません。

私が見るところ、2代目が苦しいのは、物語をどう持つのかということを、
意識せざるをえないことではないかと思うのです。

先代は、必死にやってきたことそのものが物語です。

2代目は自分の来歴を語ったところで、社員と共有できる物語にはなりえません。
おやじのおかげで小さな頃から贅沢をさせてもらった話をとくとくとするようでは
話になりません。(こんな社長であれば、社員以前に取引先が引いてしまいます)

堤義明氏は、絶対権力を握り、それを行使することで自身の物語を作ろうとした
のではないでしょうか。

しかし、そんなものは所詮自分が君臨できる企業の中だけの話です。
いざ社会から指弾されれば、企業より先に社外の取り巻きが離れていきます。

よくあるケースで、たたき上げの創業社長が後継者である息子を高校か大学
あたりで米国に留学させます。そんな時期に米国に留学すると、たいがい
米国式の経営スタイルを基準に、自分が経営する会社を見てしまい、改革が
必要と思い込んでしまいます。

しかし、実権を握っている役員連中は腹の中でそうしたやりかたを馬鹿にして
います。その時彼は、何故私の言うことが分からないのかということばかり
を考えてしまい、何故彼らが私と違うことを考えるのかという問題の立て方を
しません。

こうなると、強権を発動して独裁的な統治をするか、しばらく様子を見るという
極めて曖昧な状態で放置するか、徐々に自分のシンパを引き上げていくか、
だいたい3通りくらいの手しか残りません。

彼らが何故自分とちがうことを考えるのか、ということを徹底的に考え抜けば
必ず日本の社会のあり方にぶつかることになります。実はそこにしか自らの
物語を紡ぐ基底は無いというのが私の考えです。

企業経営を権力闘争と考えることは、一緒に働く従業員にとっては何の関係も
ないことです。もちろん、人間はそんな話や、そんなことに多少は自分が
関わっていることを自慢したがるものですが、こんなことも含めて社会の
実態から目を逸らせてはいけません。

人は社会の実態を理解し、ある部分は了解したとしても、それを肯定すること
とはまったく別物です。理解や了解を拒絶して、どんなに整合性のとれた、
合理的なことを発信しても、それは人の心には届きません。

この件については、別にじっくり考えてみたいのですが、とりあえず今思う
ことを書き連ねてみました。





2005年2月21日(月)
富士通のこと
先日久しぶりに飲んだKさんは富士通の関連会社の方です。
その中で富士通のことでは私もいろいろ言うことがあるな、
と思ったので、以下のようなことを書いてみました。
なおF社と表現しているのは、いちいち富士通と書くのが
面倒なだけで、他に意味はありません。

コンピュータに関係する仕事をして25年以上になります。
その間、国産のF社との関係が一番長く、深いものでした。

昨年ようやく長い低迷を脱し、連結で黒字になりましたが、
その内実は相当な無理をして、それも関連会社、取引先への
圧力を使って達成したもののようです。

先頃は、元社員の暴露本で目標管理制度の矛盾や問題点、
そしてそれが引き起こした様々な悲惨な状況を社会に
知られるところとなりました。

私が付き合ってきたのは、現場の営業マンや、フィールドの
システムエンジニアです。したがって、F社の経営陣について
具体的にあれこれ言えるわけではありません。

そうは言っても、顧客から見たときに、F社がどう変わったか
についてはいろいろな感想があります。

目標管理制度導入のずっと以前、外資系のI社がハードから
ソフトを中心としたソリューションビジネス(あまり好きな
言葉ではないのですが)に軸足を移し、F社も追随した頃、
F社は管理会計システムの変更に伴い、営業からSEへの
オーダーについて、社内で費用を発生させるようになりました。

それ以前は、高価なコンピュータを導入すると、それをサポート
する技術者は、はっきり言ってタダでついてきました。使う立場
からすれば、この頃のサポートの方が機敏で役に立っていました。

これは、その後のいわゆるオープン系システムの隆盛を考えると、
避けて通れない道であったということになりますが、問題はその
頃から、できる営業が徐々に現場から姿を消し始めたことにあり
ます。

われわれから見た場合のできる営業とは、問題が起こったとき、
通り一遍の対応をするのではなく、開発元も含めた、最短で
問題解決できるフォーメーションを組んでくれる人です。

それができる人は、ほぼ例外なく、顧客企業の将来について、
きちんと情報を取って、将来の見通しについて一緒に議論が
できました。

ここ10年の間に、私が知る限り、F社の最前線からこうした
人たちがいなくなっていきました。(もちろん皆無とは言いません)

こうした人たちに共通するのは、最前線の自分自身が、顧客の前
ではF社を代表しているという自負心であり、社内の事情を顧客に
押し付けないということであり、そのためには自身の上司に限らず、
会社の上層部とも渡り合う迫力がありました。

日本の企業の多くが元気がないのは、このあたりに共通するもの
があるからではないでしょうか。
2005年2月20日(日)
ここ数日の消息
2月16日からアップしていません。
今日までのことを少し書いておきます。

前職当時の部下と久しぶりに会いました。元気そうで一安心です。
ただ、奥方のチェックが厳しく、飲んでいる最中にも携帯が鳴って
いました。

以前は私の名前を出せば諦めのついた奥方も、最近はあまり一緒に
飲むこともないので、マークがきつくなったとこぼしていました。

私は最近品行方正なので、他人の不幸に対して的確なアドバイスを
する資格はありません。Y君、自分で実績を積み重ねるしかないです。

K大学のM先生とF社のKさんと久しぶりに飲みました。

集まると次の展開の話になるのですが、これというネタに絞り込む
にはもう少し時間がかかりそうです。

2軒目では、M先生が学生さんを二人呼び出し、迷惑を省みず、
説教をかましたに違いありません。(泥酔したわけではないのですが、
しゃべった内容の記憶がありません)

結局研究室に泊めていただき、昼ごろ起きだして、昼食をご馳走に
なり、昼間からビールで調子を出してしまいました。(K先生曰く、
酩酊曲線を突然中断することは、精神的に非常にダメージになる、
ついては徐々にクールダウンすることにするので、あなたも付き合い
なさい、ということでしたので、心を鬼にしてお付き合いさせて
いただきました。)
学生のみなさんは大変だったとは思いますが、社会に出ればもっと
理不尽なことは山ほどあるので、社会に出たときの訓練を前もって
やった、というくらいの前向きな受け止め方をしてください。

その後、GPPJの事務局の大先輩のところに押しかけ、結局11時
過ぎまで飲みました。昼酒の影響で、記憶喪失状態でした。

昨日は何も手につかず、ひたすらごろごろとして、過去、現在、未来に
ついて思いをめぐらせていました。体調悪いとやっぱり悲観的になり
ます。

今日は体調も回復し、少しはましな気持ちになってきました。

予定していた確定申告の手続きができなかったのが心残りです。
2005年2月16日(水)
ライブドア堀江氏のこと
ライブドアの堀江氏のことはあまり書く気はなかったのですが、先日
友人から書かないんですか?と聞かれたので、そろそろ書いてみるか
という気になりました。

なぜ書く気にならなかったのかを考えてみました。

すぐ思い浮かぶのは、要するにあんた何をしたいの、ということで
目指しているものがよくわからないということです。

プロ野球騒動の時もそうでしたが、一種の錬金術で手に入れた金の
使い道として、社会を騒がせてみたいということだけのような
気もします。

今日のNHKのニュースで単独インタビューの模様を放映していましたが、
まったく内容の無いものでした。

気になったのは、彼の目です。
感情の動きを一切反映していないように見えました。私はこの手の目を
見ると、生理的に嫌悪感を催します。

彼がやっていること、言っていることにはあまり関心がありませんが、
何が彼をこうした行動に駆り立てているのか、どんな成育史を経て
こんな言動をする人間になったのか、こちらのほうに興味があります。
精神的に相当悲惨な思春期を送ったのではないかと想像をたくましく
していまいます。

このニュースの中で、今回の買収劇の作戦を練っている社員という
ことで、ライブドアの20代社員が2名で仕事している様子が放映
されました。

「資本参加してインターネット事業をやることで、シナジーが出る
 よね」
なぞと、知ったふうなことをしゃべっていましたが、社会や人の
何たるかについて、幼稚なイメージしか持てない若造がふざけるな、
というのが私の感想です。
2005年2月14日(月)
蕎麦打ちの効用
3連休の初日、久しぶりに蕎麦を打ちました。

私は特にスポーツも武道もやりませんので、意識的に体を
動かすのは蕎麦打ちくらいのものです。

以前も書きましたが、最初の1年は本当に悲惨なものでした。

打ち始めは本を買ってきて、説明文を何度も読み、打ち上がり
までの状態を写真で見て、その状態になるように頑張るのですが
まったく写真のようにはなりません。

うどんのような太さの、とんでもなく短い蕎麦粉の塊のような
ものしか出来ませんでした。

半年くらいたった頃、ビデオを買ってきました。

ようやく打ち始めから打ち終わりまでのプロセス全体が見えました。

本の場合は、プロセスの説明は文章でやってしまい、ポイント、
ポイントを写真で示すというやりかたですから、写真と写真の
間でどんな変化が起きているのかがわかりませんでした。
その変化のプロセスが、ビデオによって分かったわけです。

本に書いてあるのはほんまやったんや、というのが実感です。

上達してくると、その日の温度や湿度で水加減を微妙に調節できる
ようになると言われても、それがよくわかりませんでした。

しかし、丁度一年が過ぎたあたりから、大きな失敗はしないように
なりました。

水加減をしながら、粉の状態を手でみることが徐々にできるように
なったのだと思います。

蕎麦打ちの工程は、大きく以下のようになります。

水回し、練り、のし、切、茹で。

最初は美しく切るのが大変ですが、そのためには、やはり水回しが
肝心であることに気づき、水回しがうまくいってもしっかり練ること
ができていなければ腰がない、練までうまくできても均一にのすことが
できていまければ、といふうにどの工程ひとつとってもおろそかにでき
ないことに本当に気づくのにも、また時間がかかります。

指先で粉の状態を感じながら、指先を通じて体全体で粉の感触を楽しんで
いる、その時間が一番面白いのかもしれません。

もちろん、蕎麦打ちを始めていろいろと副産物のような効用がありました。

家人が体調の悪い休日には、みずから昼食を用意して頼りになるところを
見せる。

台所の道具類の配置がすべて頭に入るので、夜中にごそごそと酒の肴を
勝手につくることができる。

孫の餌付けができる。
2005年2月12日(土)
なつかしのフォークソング
BSでなつかしのフォークソング特集をやっていました。

確か昨年の年末にもよく似た顔ぶれでやっていたように
思います。

言ってしまえば、ピンで2時間はちょっときついかな、という
メンバーが多かったように思いますが、それはさておき。

小賢しい坂崎幸之助がちょろちょろするのが目障りでしたが、
さすがは高田渡先生。いっしょに歌って、坂崎がきれいに
合わせようとするのですが、まったくのマイペースで歌い切られ
ました、感服。

それから西岡たかし。
薄い頭にサングラス、集団の中にいても全身から力が
抜けていて、そこにいるだけで空気のようなあやしさ、
これはなかなかできません。

70年代の日本のポピュラー音楽は、もちろんビートルズの
影響を大きく受けているわけですが、もうひとつの流れとして
アメリカのフォークソング、それもカレッジフォークと呼ばれた
(アメリカでそう呼ばれたかどうかは知りません)流れにも
大きく影響されていることを確認しました。

私が高校生の頃に、大学生のコピーバンドが幾組か田舎に来た
ことを思い出しました。

確かに歌詞もメロディーもシンプルで覚えやすく、今でも
口ずさめる曲が沢山あります。

大正デモクラシーの頃に、日本の童謡が一気に花開いたことを
連想しました。

経済的な豊かさと、文化の大衆化の進展が同じような現象を
起こしたのでしょうか。

その後の歴史の歩みは、アナロジーで考えたくもありませんが。

高校生の頃、亡くなった父親が、東海林太郎やディックミネ、
藤山一郎の歌を懐かしそうに聞いていましたが、どうやら
私の順番が回ってきたようです。
2005年2月10日(木)
確定申告
初めての確定申告の時期がやってきます。

ネットで調べてもイマイチよく分からないので、高校時代の同級生で
現役の税理士としてばりばり活躍中のお方に質問をしてみました。

メールアドレスを聞いて、早速3点ほどの質問をする。

メールはあまり使わないということであったので、FAX番号も記載
しておいたのだが、返事は電話であった。

気になっていたのは、入出金にかかわる証憑書類は提出する必要が
あるのか、といったことだったが、日本の徴税の基本は自己申告制
であるゆえ、保存しておく必要はあるが、提出の必要はないとのこと、
なるほどと納得する。

(サラリーマン時代の国税調査を思い出してしまいました。

 きちんと説明できればもちろん問題なく開放されるのですが、
 曖昧に回答し、説明が二転三転すると大変です。ねちねちと
 しつこく追求され、結局お土産を持って帰ってもらうことに
 なります。

 曖昧なら曖昧なりに、最後までぼけ通すという手もあるのですが、
 これは言うは易く行なうは難しです。しかし、前の会社にはこの
 名人がいました。調査官が変わっても、調査のたびに結局煙に
 まいていました。)


この税理士さんは、家庭の主婦をしながら資格を取り、税理士事務所
に勤務することなく、いきなり独立したという大胆不敵な方です。

独立当初は顧問先を獲得するために、あらゆるところに顔を出して、
名刺を配りまくったとのこと、これがなかなか出来ません。

しかも彼女は美人で愛想も好いときていますから、私のように低音で
無愛想な自営業者は最初からハンディがあります。

昨年郷里の高校の同窓会に欠席したのですが、そんなことじゃあ駄目よ、
と軽く叱られました。

営業が苦手とか言っているあいだはまだまだと思う今日この頃です。
愚痴っていてもしかたがないので、ハードボイルド営業を続けます。
2005年2月8日(火)
東京迷走
東京都がまたまたおかしなことを考えているようです。

たとえば、電車の中で痴漢行為とかを見た人は、それを通報する
義務があるというものです。

詳しくはわからないので、たとえば通報しなかった場合の罰則が
あるのかどうかはよく知りません。

また、どういう行為と認定された場合に通報義務が発生するのか
もよく分かりません。

もし、この条例が施行されたなら、東京のことは「岡引都市」と
呼んでもいいと思います。

先日の性規範条例といい、首都東京の迷走は続きそうです。

一般のマスコミには、最近あまりとりあげられませんが、
首都圏大学、これももっぱら「くびだい」といって、受験生の
人気がないようです。
2005年2月6日(日)
鉄腕ダッシュ
毎週日曜日の午後7時前からやっている、TOKIOの「鉄腕ダッシュ」が
好きで、たいがい見ています。なかなかほのぼのとしていて好きです。

今日見ていると、地元の食材だけで料理を作るという企画で、山口達也が
山形県に行って食材を探していました。山形在住のおばちゃんと一緒です。

鱈が旬でおいしいということで、海辺の町に行って探します。おばちゃんが
地元の人に「あばさん」はこの辺にいないかとたずねました。私は一瞬、ん?
と思いました。

しばらくすると、リヤカーを引いている魚の行商のおばさんを見つけ、
この人この人ということで、丸々と肥えて、よく脂の乗った鱈を買っ
ていました。

「あばさん」というのは、私の育った田舎の漁師町でも使っていた言葉です。
魚の行商をするおばさんのことだけを言ったわけではないのですが、私が
育ったのは山陰の鳥取であり、テレビでは鳥取から遠く離れた山形のことを
とりあげているので、ひょっとしたら魚の行商をするおばさんのことを指し
ていう場合だけ、山形で使われているのかと思ったわけです。

実を言うと、子供のころ、周りの友達は当たり前のように「あばさん」という
のですが、私はどうしても恥ずかしくて口にできませんでした。ただ、口に
しないと友達の中で孤立しそうなときは、目を瞑るような気持ちで何回かは
口にしたように思います。

とにかく「あばさん」が気になってネットで少し調べてみました。

鳥取の言葉を紹介しているサイトでは、「あばさん」を鳥取県の因幡地方の
方言としています。

さらに、兵庫県の日本海側、但馬地方の言葉としても紹介されていて、
因幡地方に伝わるとされていました。

さらに探してみると、京都の古い言葉として、「あば」、おばさんの意味と
してあげてありました。

要するに古い京言葉が、地方に伝播し定着したということです。

柳田国男の「言語周圏論」の有効性を証明する事象だったわけです。

名詞とか形容詞のような、個別の品詞については言語周圏論はかなり有効
ですが、その土地独特の言い回しやイントネーションについてはどう考えれ
ばいいのでしょうか。

2005年2月5日(土)
でっかいジャスコ

近所に馬鹿でかいジャスコができたので、一昨日
家人と行ってみました。

中央の通はゆったりとした幅と高さで、しかもゆるやかな
カーブになっていて、無機的な感じを排除しようとする意図
がかなりはっきり伝わってくる作りです。

その通の両側に、専門店が軒を連ねています。
店は女性と子供向けの洋服関係が中心です。

もちろん食べ物関係も沢山ありますが、一箇所にごちゃごちゃ
集中していなくて、私としては好感が持てました。

(そうは言っても、私は阪急の庄内、服部あたり、あるいは環状線の
 京橋、鶴橋、桃谷あたりの雑然として、猥雑な活気も大好きですが)

それはいいのですが、私に縁のありそうな店といえば、本屋と
焼酎の専門店、そして十割蕎麦を出す蕎麦屋くらいのものです。

専門店街のコンセプトがよくわかりません。

現在の消費は選択的消費ということで、必需品のサイクルは
とうに終わっているわけですが、そうした消費に振り向けること
のできる資金は、実は55歳以上の高齢者が全体の60%を
占めているとのことです。

もちろん、そうした年代の夫婦は、奥さんが購入決定権を持っ
ていることが多いのでしょうが、人口も多く、資金も潤沢な層
に向けて全体のコンセプトが作られていないのは不思議な気がします。

しかし、これをよく考えてみれば、この層へのマーケティングや
購買意欲の喚起にはまだまだやり方、チャンスがあるということです。

2005年2月2日(水)
ジャストシステムの特許係争
一太郎のジャストシステムが、松下との特許係争で敗訴しました。

新聞を読む限り、私にはどういう機能のことを言っているのか、
いまだによくわかりません。ですが、記事の内容からはそれほど
画期的なアイデアではないように思います。

それはおくとして、一太郎バージョン7以降の製品について、
松下が特許を主張し東京地裁が認めたということですが、私は
情けない気持ちがしました。

特許が保護される本来の理由は、発明者のアイデアの保護と、
新たな発明の奨励にあったはずです。

それが1980年代以降、特に米国が知的財産権をビジネスの
武器として使用し始め、他社をビジネスの場から排除する道具
として位置づけました。

ずいぶん以前ですが、IBMが富士通や日立を相手取り、OSの
コピー問題で多額の賠償金を請求し、実際に支払われたことが
ありました。

このケースでは、IBMは当初自社のOSの複製が市場に出回る
ことを黙認していました。そして一定のシェアを獲得し、事実上
の標準となった時点で不法複製を唱えたわけです。

国際的なビジネス慣行について、米国と争う場合に、彼らの
国内法に従わざるを得ない場合はやむを得ませんが、少なくとも
国内企業同士で、まして米国製のWindows上のソフトについて
争うことにどんな意味があるのでしょうか。

米国製のプラットホーム上のアイデアは、国内メーカーは無条件に
無償のクロスライセンス契約を締結するくらいのことを考えるべき
だと思います。

私の本音としては、特許権を個人に認めて保護すること自体、あまり
意味のあることには思えません。

あらゆる知的営為は、個人が単独で達成しているように見えても、
人間の存在が社会と歴史によって作られている以上、模倣とバトン
タッチによって成立っているはずです。

松下電器には猛省を求めます。

2005年2月1日(火)
生業的経営と企業的経営
問題です。

「生業的経営と企業的経営の基本的な違いについての記述として、最も適切な
 ものはどれか。」


 ア 家族従業者の有無によって区別される。

 イ 個人企業と法人企業として定義される。

 ウ 成長志向・利益志向の強さによって区別される。

 エ 伝統的工芸品産業に属するかどうかが決め手になる。

 (平成14年度中小企業診断士 第1次試験より)

正解は「ウ」成長志向・利益志向の強さによって区別されるです。

解説を紹介しましょう。

『同じ中小企業であっても、成長指向型の本来型の企業もあれば、いわば
 生きるため、生活のための生業型の企業もあります。本来型の企業は、
 売上・利益の極大化や企業の成長を目的として経営を行いますが、生業型
 の企業は「家計を維持できれば十分」という姿勢で経営を行います。
 「企業的経営」と「生業的経営」との違いは、このように企業理念あるいは
 企業文化的な違いによります。すなわち、資本の論理が貫徹する「企業的
 経営」に対して、「生業的経営」とは、成長志向や利益志向が弱く、
 「暮らせればよい」という経営姿勢のことであり、家族従業者の有無や
 産業属性は直接関係ないものであると判断できます。」


もっともな答えだと思いますが、個人的には何かひかかります。

ここで辞書的な意味を紹介しておきましょう。

生業:生計をたてるための職業。なりわい。

企業:営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体。
   また、その活動。

経営:方針を定め、組織を整えて、目的を達成するよう持続的に
   事を行うこと。特に会社事業を営むこと。

(三省堂 大辞林 第二版)


生計をたてるために「方針を定め」、「組織を整えて」、「目的を達成する
よう持続的に事を行う」ということはあり得ないことなのでしょうか、とい
うような茶々をいれるつもりはありません。

個人的には、とりあえず生計が成り立てば結構です、大きなことは言いません
から、平和な暮らしができればいいです、それも、できれば気のあった仲間と
一緒にやれたらいいです、そのためであれば、方針を定めたり、組織を整える
必要がある場合には、喜んでそうしましょう、こういった考え方が好きです。

中小企業が相手の中小企業診断士であり、そのための試験ですから、中小企業
は売上・利益の極大化を目指す組織であってもらう必要があるのでしょう。

しかし企業の目的を売上・利益の極大化だけに絞ってしまって本当にいいので
しょうか。

売上・利益の確保は企業存続の必要条件ではありますが、十分条件ではない
ように思います。

消費資本主義の高度化と、総需要の減少という事態に対しては、企業の
あり方そのもの、あるいは存在理由そのものを考え直し、さらに言えば
深く広く考えてみることが必要だと思います。

まあ、そうは言っても、口で「売上・利益の拡大」を唱えながら、そのための
リスクを負う覚悟がなく、結果的に生業的企業経営を実践されている経営者の
方々も沢山おられるようです。ある意味、時代の先取りかもしれませんね。
 
2005年1月31日(月)
自閉症児のこと
たまたまテレビを見ていたら、自閉症の子供の番組を放映していました。

自閉症と一口に言っても、症状は一人一人違うということです。
しかし、やはりある共通点があります。その一つがコミュニケーション
の障害です。

何とかしゃべれるようにしようということで、言葉を教えようとします。
鸚鵡返しのように言葉を返し、それが状況にあっていればほめるという
やりかたが基本にあるようです。しかし、何かのきっかでコミュニケー
ションを拒否したとたん、奇声を発したり、周りの人に噛みついたり、
あるいは自分自身の肉体に噛みついたりという行動に走ります。

親御さんの壮絶な苦労は、私のような門外漢にも画面から重く伝わって
きました。

家人が自宅で近所の子供を相手に小さな塾をやっているのですが、その
中に私が聞くともなく聞いていても、コミュニケーションがとれていない
子供がいます。

最初は言葉の意味が理解できていないのかなと思っていたのですが、実は
言葉が使われる文脈が理解できていないのだと気づきました。

家人は英語を教えているのですが、初歩的な日本語と英語の単語レベルの
対応であれば、暗記することで特に問題はなかったのですが、感情や心理
がかかわる文章については、まったくといっていいほど理解ができないよ
です。

英語以前に、日本語としても状況、文脈が体になじんでいないので、いくら
教えようとしても、理解がとどかないようです。あなただったらこんな時
どう言うの、という質問が届きません。

自閉症児のコミュニケーション障害に近いものを感じてしまいます。

ここから先は私のまったく個人的な思いつきです。

以前、発生学者の三木成夫さんの本を読んだ時期がありました。

その中で、いわゆる奇形といわれるものの大部分は、じつは生命が進化
する過程で、たとえば爬虫類段階であるとか、両生類段階で身体構造の
分化が停止したと考えるべきであるという意味のことを書かれていました。

いわゆる個体発生は系統発生を模倣するはずが、最終段階まで模倣を
出来なかったケースが奇形として現れるということのようです。

翻って、生物でコミュニケーション能力が最も高いのは人類であること
には間違いのないところでしょう。

こうしたコミュニケーション能力の獲得にも、生命の進化の長い過程が
あったと考えることはごく自然なことと思われます。

そういう視点に立つならば、自閉症児のコミュニケーション障害も、実は
人類が現在獲得しているコミュニケーション能力の、進化のある段階で
停止した状態というふうに理解することができるのではないでしょうか。

ややもすると、われわれと同じレベルのコミュニケーションレベルに
引き上げようと努力をするわけですが、彼らにとってみると、まず
われわれのレベルでコミュニケーションをしてみてよという思いが
あるのかもしれません。
2005年1月30日(日)
総需要の減少
あらゆる業種、業態が避けて通ることの出来ないのは
総需要の確実な減少ということです。

これだけはっきりしているにもかかわらず、企業は
相変わらず売上利益を拡大する前提で、いわゆる
中長期戦略を練っています。

確かに、個別企業の個別の事情を検討すれば、伸ばす
ことの可能な局面は見つかるでしょうが、基本的な
流れとして総需要が減少することを計算に入れた
計画を立案している企業というのは、寡聞にして知りません。

総需要減少の最大の原因が、総人口の減少ということは、
企業にとっても社員の減少と言う、内側の環境が変化する
ことを意味しています。

現在明らかに影響が出ているのは私立大学です。
18歳人口の減少が、定員割れという形で、直接的に
出ているようです。

長い目で見れば、供給能力過多の社会が遠からず到来
します。景気の循環ではなく、需要そのものが、少なくとも
国内経済では減少していくわけです。

人の口の数が減るのが最も影響がありそうですから、とりあえず
食事の回数を増やしてみるということを考えてみました。

江戸時代までは、庶民は食事を一日二回しかとっていなかった
らしいですから、2010年あたりから、とりあえず一日四回
の食事を奨励してみてはどうでしょう。

国民経済上、この対策の経済効果がどの程度になるのか、
産業関連図的にはどうなんでしょうかね。

冗談はさておき、縮小均衡のなかで、どうやって利益を生み出し、
確保していくのか、かつて経験したことない社会が到来します。

2005年1月28日(金)
雑感
昨日、私と同時期に前職を退社した先輩と飲みました。

入社時からお世話になった方です。

医療関係の、特に財務関係に強いかたなので、資料の
おねだりをしたり、今後のジョイントの可能性について
話しました。

私のHPも見ていただいているようで、いろいろと感想
をうかがいました。

仕事のHPか個人のHPか、性格づけが中途半端という
指摘は、まったくそのとおりですというしかありません。

なかなかまとまった内容が準備できないので、しばらくは
こんな感じで続けてみようと思っています。

最初から焼酎のお湯割で飛ばしてしまい、久しぶりに
和歌山まで乗り過ごしてしまいました。

家人に迎えに来てもらったのですが、女優に夜更かしは
禁物ということで気を遣っていると、ラーメンでも食べて
帰ろうかというお申し出があり、はいはいと二つ返事でついて
行きました。

一時和歌山ラーメンがもてはやされましたが、当時もその
時流に乗る気のなかった、偏屈なおっさんの店を探したのですが
よくわからなかったので、派手な看板の初めての店に入りました。

無茶苦茶まずいわけでもないのですが、ベースに化学調味料の
味がして後口に残るので、ここはもう行きません。

食べ終わって車に乗ってしばらくすると探していた店が
やっていました。残念。でも世の中こんなもんでしょう。


海老沢さん、あっという間の顧問辞任でした。

経営委員会というのは、こんな時に「会長、海老さんを
いきなり顧問はまずいんでないの、世間は納得しませんよ」
というふうなことを助言するのが役目ではないのでしょうか。

「会長、自分の判断ミスを認めれば、会長一人にとどまらず、
 NHKという組織の根幹が揺らぎます、この際判断に間違い
 はなかったということで押し通してください」
なんてことをしたり顔をして意見具申する茶坊主がいるので
しょう。

自分の発言でNHKという組織に迷惑をかけるわけにはいかん、
ということで、判断に誤りはなかったという記者会見になった
のでしょうが、新会長を戴いたNHKも前途多難と言わざるを
えません。



2005年1月26日(水)
海老沢忠治
ようやく海老沢会長が辞任しました。

「赤木の山も今宵限り」

心境を聞かれた答えがこれです。
ある意味正直な人なのでしょう。新国劇のセリフはこの後

「かわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる旅出だ。」

と続きます。

NHK職員諸君、君たちは海老沢会長のかわいい子分だったのです。
君たち一人一人がどう思っているかは別として、海老沢親分としては
かわいい君たちと別れるのは、本当につらかったのです。

ところで、忠治はひとり会津に落ちていくのですが、海老沢親分は、
こともあろうに、側近二人を道連れにしてしまいました。

権力の禅譲が無理とわかって、残ったときのつらさを考えた上での
処置だとすれば、本人の主観的には立派な親分なのでしょう。

政治向きな事柄にはあまり縁のなさそうな技術畑出身者を後釜に
据えるところなぞはなかなか芸が細かいというか、転んでもただ
では起きないといえます。

NHKは、いっそのこと会長の上に、上皇職とか法皇職を置いて
みるというのも面白いかもしれません。

そのかわり、無報酬のご隠居職も設けることが必要です。

今回の一連のNHK騒動では

1.改変前、改変後の番組をノーカットで放映する。(これは
  平川克美さんの提案ですが、私は大賛成です)

2.予算の審議権を国会からご隠居職にゆだねる。
  (上皇や法皇に対抗しうる存在として、ご隠居を復権させ
   ましょう)

私は以上の2点を提案します。

あなたの会社にもいませんか?

相談役とか顧問とかいって、無責任な立場で、個人的な感想が公式の
組織に影響力があることそのものを楽しんでいる爺連中が?
2005年1月24日(月)
性規範条例
昨日は今年初めての金谷会。

いつものように、おっさん、おばはん、10人で飲んで、食って
しゃべりまくる。

ビール、絞りたての日本酒、濁り酒、ワイン、焼酎が3時間で
あっというまに飲み干される。

私も一応蕎麦を打って、家人がドレッシングを作り、蕎麦サラダを
持参。糖尿の方に喜んでいただいた。

さて、東京都のことである。

都協議会、青少年の性規範条例化を答申
 東京都青少年問題協議会(会長・石原慎太郎知事)は24日、性行動の低年齢化など青少年を取り巻く課題への対応策として、「安易な性行動で人間関係が阻害されないように青少年を啓発・教育するなど、保護者らの努力義務を条例化する」ことなどを求める答申を石原知事に提出した。都は青少年健全育成条例の改正案を2月の都議会に提出する。

 18歳未満の青少年の性規範を条例で規定するのは全国で初。答申は、青少年と反倫理的な性行為をする大人にも問題があるとして、青少年とのみだらな性交または性交類似行為を禁じ、懲役刑など罰則を課す「淫行(いんこう)処罰規定」を、他の道府県と同様に条例に設けることも提言した。

新聞によると、東京都の青少年問題協議会は「淫行処罰規定」だけではなく、18歳
未満の青少年の性規範を条例化するよう石原知事に答申したそうである。

「淫行条例」そのものが、非常に卑猥な響きであり、私は「淫行条例」と言う言葉を
最初に聞いたときは、冗談としか思えなかった。今でも聞くだけで恥ずかしい。東
京都は全国で長野県とともに制定しない自治体だったそうです。それが今度は
「性規範の条例化」です。

これがよりにもよって、作家である石原都知事が会長の協議会で答申されたいう
ことが驚きです。

「太陽の季節」で、戦後の青春の無軌道ぶりを描いて作家デビューし、知事になっ
てからも作家活動を継続している人とも思えない。

そもそも日本の歴史をひもとけば、日本の庶民の性は大変大らかなものであり、
これは幕末維新に日本に来た欧米人の驚きの一つだったようです。

こんな規範を作るくらいなら、いっそ「若衆宿」の復活でもしてみたら良いのでは
ないでしょうか。

司馬遼太郎の「菜の花の沖」によれば、淡路島では娘が妊娠し、出産した場合、
誰を父親とするかは、妊娠、出産した娘が選択し、選ばれた男は血縁として
自分の子かどうかは頓着しなかったそうです。そして、生まれた子供は、その
共同体の子供として養育されたそうです。

全国に第3セクターの若衆宿を作り、出産、養育は地域社会が責任を持つ、
こうすれば案外少子化問題の解決ができるかもしれません。


2005年1月22日(土)
2007年問題
昨日は、ITコーディネーターの研修を一緒に受講した、B361クラスの
新年会。今年最初の顔合わせでした。

研修中は土日ということもあり、私服の姿しか見ていなかったのですが、
昨日は全員スーツ姿でした。もちろん私もスーツです。

スーツ姿でそろうのは初めてのことで、結構新鮮であり、また、ああ
みんなちゃんとしたサラリーマンなんだと、妙に納得してしまいました。

今日はITC−Laboの勉強会でした。

その中で、代表の方から聞いた話で、コンピュータ業界には、2007年
問題ということが話題になっているということでした。

これは、コンピュータ業界で活躍してきた団塊の世代が、定年を迎えて
一気に人材の危機が訪れるというものだそうです。

確かに大企業のシステム部門、あるいはその子会社で、長年システムに
携わってきた人たちの人数というのは膨大なものだろうなと思います。

危機という意味は、人材の払底ということだけではなく、その人たちの
再雇用をどうするか、という意味もあるようです。

大企業で、優れた仕事をしてきた人たちとはいえ、退職後その経験だけで
再雇用の声がかかる人の数はそう多くはないと思います。
大企業の経験が、そのまま他社で通用する保証はどこにもないからです。

そこで、そうしたもともとポテンシャルのある人たちを、どう再教育し、
ビジネスシーンで活躍してもらうようにするのか、これが今後の大きな
社会的なテーマであり、ITC−Laboも、教育事業の中にこの点を
取り入れていこうということです。

今日の参加者の中にも、コンピュータ関係の会社を早期退職し、次の
進路を求めていろいろと活動されている方もいらっしゃいました。

まずは本人の自発性がない限り、周りがどんなに頑張っても仕方があり
ません。ただ、何かをしたいという方たちのために、こういうカリキュラム
がありますよ、という受け皿は必要であり、これはわれわれが自ら作って
いくしかありません。

一方で、経営の論理からいえば、経験を積んで人的ネットワークの豊富な
人材を、低コストで雇用できるというメリットがあるわけですから、ある
特定の機能のための即戦力として、中高年の雇用を拡大するメリットはあ
ると思います。

ただし、過去の自分の役職とか立場を引きずらない人でなければ、再雇用後
の本人だけでなく、周りも大変です。


2005年1月20日(木)
一外交官の見た明治維新
数年前に買ったままにしていた、アーネスト・サトウの
「一外交官の見た明治維新」を読みました。

幕末から明治維新にかけて、単なる傍観者ではなく、外交を
通じて自身も歴史の当事者としてかかわった人の筆になるもの
だけに、臨場感にあふれ、読み物としても大変面白いものです。

正確で冷静な観察眼はさすがというところですが、それ以上に
面白いのは、日本人や日本の風俗、風習への極めて強い好奇心
が現れているところです。

幕府の役人の当事者意識のなさなどは、まるで現在の官僚と
なんら異なるところはありません。

そして、表向きの為政者、権力者が実は傀儡であることも
しっかり見抜いています。それでもそうした政体が続いたのは
鎖国政策によると明確に言っています。

「何度繰りかえして言っても、とにかく大名なる者は取るに足らない
 存在であった。彼らには、近代型の立憲君主ほどの権力さえもなく、
 教育の仕方が誤っていたために、知能の程度は常に水準をはるかに
 下回っていた。このような奇妙な政治体制がとにかく続いたのは
 ひとえに日本が諸外国から孤立していたためであった。」


もうひとつ、私が面白いと思ったのは、当時の日本人も何かといえば
酒席をもうけて大騒ぎをしたということです。それも、スマートに
飲むことをまったく考えていません。

「当時は正餐の会で酩酊するのはごく普通のことで、お客がしらふ
 で帰ると、主人側は充分相手を満足させなかったのではないかと、
 気をもんだものである。彼らの一人は、べろべろに酔って、子供や
 女たちの耳に入れたくないような話をやり出した。また、一人の
 男は、一束の猥画を差し出して、われわれ四人に気前よく分けて
 くれた。」

ほっとする話です。

よくいわれる話に、日本は結局外圧がなければ、自らの力で変革を
することができないというものがあります。その例として、幕末
維新と、太平洋戦争の敗戦があげられます。

しかし、幕末維新は、少なくとも外国の干渉を排除した形で、日本人
自身の手で決着をつけ、それを諸外国共通の局外中立という方針で
裏づけ、まとめたのはイギリスでした。

もちろん、イギリスが単なる好意だけでそうしたわけではなく、日本
の混乱が長引けば、当初の目的である貿易の拡大が阻害されるという
経済的な理由がありました。しかし、これも日本国内に、幕府に替わり
得る政治勢力が厳然と存在すること、そしてその勢力がイギリスに
とって利益になると判断したから局外中立政策を選択したのです。

その点、太平洋戦争当時の為政者は、合理的に思考する能力があれば
始める理由のない戦争を始めてしまったという意味で、幕末維新の
為政者よりも劣ると言わざるを得ません。

なぜ幕末維新で外国の干渉を排除できたのかを考えてみると、案外
幕藩体制による、藩という制度が起因しているように思えます。

現在の私たちが想像する以上に、藩というのは独立性(政治だけの
意味ではありません)が高かったようです。ということは、それだけ
多様性に満ちた社会があったということです。

ある危機的状況に直面した時、一つの対応方法しかもてない社会は
もろいのは当たり前です。多様性を内包する社会は、当然状況に
合う対応方法をその中から選択することが可能になるわけです。

大量生産大量消費のマス社会から、消費資本主義の価値多様化の
社会が到来したかのように喧伝されますが、私には現在の社会が
多様性を排除しているようにしか感じられません。




2005年1月18日(火)
NHK、政治家、朝日新聞
NHKの従軍慰安婦関連の番組の改編をめぐって、NHK、朝日新聞、
自民党の政治家が三つ巴の状態を呈している。

番組を見ていないので、番組自体へのコメントはできないが、問題は
三者ともに何時話をしたのかという、事実のみを議論の中心に据えて
いることではないでしょうか。

前もってお伺いを立てようと、事後改編の報告に行こうと、どちらでも
同じことです。

報道の自由を、報道機関の存立の基本に据えるのであれば、いかなること
があろうと、たとえ事後に批判を浴びせられようと、自ら政治家のところ
に赴く理由はありえません。

仮に直接呼び出されなかったとしても、NHK内部で、これはちょっと
まずんいでないの、一応政治家の先生には話を通しておいたほうが無難
なんでないの、ねえヤマちゃん、といった指摘があったのではないでし
ょうか。

もちろん私の勝手な想像ですが、しかし、最近の世の中の流れが、こうした
ソフト自己規制、面倒なことはうまく避ける、といった方向に向かっている
ような気がしてしかたありません。

NHKの場合、今のエビジョンイルはもちろんですが、前任者のシマゲジ
あたりから、NHKの独立を守るためと称して、政治家とうまく付き合える
人間が厚遇されてきた形跡があります。

権力をもった人間が、そのことに無自覚でいる場合、自分ににじり寄って
くる人間に対しても無自覚という意味で、自覚している場合よりも腐敗の
仕方は余計にたちが悪くなるように思います。
2005年1月14日(金)
たまにはコンピュータの話題も
年明け早々日立が以下のような発表を行いました。



日立、情報管理強化でハードディスクを内蔵しない新型モバイル端末を導入
発表日:2005年1月4日

抜本的な情報漏洩防止策を施した情報システムを開発し情報・通信グループを対象に導入



 日立製作所 情報・通信グループ(グループ長&CEO:古川 一夫、以下 日立)は、このたび、モバイルPCの盗難や紛失などにより、モバイルPCのハードディスクに格納された情報の漏洩を抜本的に防止するため、ハードディスクを社内のサーバーに置き、通信・ネットワークを活用することで、いつでも、どこでも、安全かつ安心して利用できる、ハードディスクを内蔵しないモバイル端末を利用した情報システムを開発しました。本システムは、まず、情報・通信グループでモバイル端末を利用している従業員を対象として本システムを適用し、2004年度中に2,000台、2005年度中に8,000台の新型モバイル端末を導入していく計画です。


これに続けて、社内で評価し結果がよければ他企業へも展開していく予定とされています。
当然のことでしょう。

この発表に対し、私の仲間内(特にPCの障害時、自動復旧するソフトを開発・販売している人たちですが)ではかなりの反響でした。

要は、ハードディスクを持たない、昔のダム端のようなイメージですから、PC自体の環境はただの箱ということになります。そうなると、当然自動復旧ツールそのものが不要ということになるわけです。

こうした反響に対し、私は以下のような考えを表明しました。




1.製品の発想自体は古くからあるものであり、特に驚くには
  当らないと思います。

2.企業の事情からすれば、コスト的に合えばやはり集中管理
  をしたいというのが本音ではないでしょうか。

3.ただ今回のケースでは、内部からの情報持ち出しのリスクを
  回避することはできても、ネットワーク上のリスクは依然と
  して残ります。

4.すべての情報をサーバーで管理した場合、社外からのアクセス
  にたいし、トラフィック、セキュリティの両面で、現在の技術
  でコスト的に見合うのでしょうか。

5.以上のような懸念が解消されれば、現在個人が使用している
  PCのアプリケーションについても、どこかのプロバイダーが
  ASPで提供する時代が来るかもしれませんね。


たとえば流通の分野でも、集中と分散が繰り返されてきました。
同じように、コンピュータの場合も、特にネットワークで結ばれ
て以降は集中と分散の繰り返しです。

メーカーはそのたびに耳に心地よい売り文句を考えてくれます。

自社の体力と、目指すものが明確であれば、今選択すべきかどうかは
おのずと明らかになります。

自社で判断がつかないのであれば、ITコーディネーターを利用
していただければよろしいのです。

もう一点、こうした技術の動向に一喜一憂するのではなく、自動復旧
の根本にあった、パソコンを、普通の人が普通に使える世の中にしたい
という思いに立ち返って、今世の中が必要としているサービス(もちろん
技術の裏づけのある)は何か、というところから発想することが必要では
ないのか、ということを考えています。




2005年1月12日(水)
青色発光ダイオード訴訟
青色発光ダイオード訴訟が結局和解ということで決着した。

発明にいたる詳細な経緯、会社と中村教授との間にある
確執等々、細かなことは不案内であるが、和解後の中村教授の
態度に、何かいやなものを感じてしまう。

日本は駄目だから、才能ある若者は米国に来るべきだと言って
いるそうだが、自分にとって米国の環境が合っているという
ところまでは分かるが、だから日本は駄目というのは納得でき
かねる。

まして、才能のある連中は米国に来いとは解せない。

日本にはぼんくらだけが残ればいいということですか、と言って
みたくもなる。

技術者の評価の基準を金銭だけにしか換算できないというところに
引っかかってしまうのは私だけでしょうか。
2005年1月11日(火)
参りました

むかし しんち

いま おうち

(C)NOVA

そのうち しんち

(C)JUNJI

2005年1月10日(月)
8日9日
1月8日

夕方からGPPJの集まりに参加。

昨年GPPJの活動が日経新聞で取り上げられたこたが
紹介される。

市民への働きかけをどうしていくのか、真剣に議論をする。

ホームページのリニューアル、会員制度の見直し、歯科衛生士さんの
積極的な組織化等々いろいろとアイデアが出た。

その後食事、飲み会。

60代のパワーに圧倒される。

1月9日

地域の自治会の新年会。

大盛況で、ここでも50代後半から60代のパワー炸裂。

湯飲み茶碗にやかんで燗をした日本酒を注ぎ、ぐびぐびと飲み続ける。
話してみると、近所は人材の宝庫。たまたま隣り合わせた人は、もう
じき定年で、今から個人事務所でISO導入のコンサルタントをやって
いるとのこと。

話題はPマークで盛り上がる。

その斜め前には父親の事務所で社労士の仕事をしている人、というよう
に、力をあわせればいろんな展開ができそうな気がしてきた。

その後、以前から親しくしている近所の方の所に乱入し、夕方まで飲み
続ける。

家人は芝居の新年会。
2005年1月7日(金)
金子文子と金子みすず
金子文子については、中野孝次の「暗殺者」という小説で知りました。

その後、調書や裁判記録を集めた資料集や、瀬戸内晴美の小説を読み、
関心を持ち続け現在にいたっています。

ご存じない方のために、簡単に略歴を紹介しておきます。

関東大震災後に大逆罪で死刑判決を受け、その後減刑され刑務所に
収監中に20代で自死したアナーキスト(私自身はニヒリストだと
思っていますが)です。

生い立ちは悲惨を極めています。

金子みすずについては、名前は知っていましたが、そう深く関心を
持つこともありませんでした。ところが、一昨年家人が金子みすずを
取り上げた朗読劇を演じ、人手不足で私も音響係で借り出され、丸
二日つきあったことで彼女の世界の純粋さと深さに惹きつけられました。

ご存知のように、彼女も20代で自殺をしてしまいました。

まったく結びつけて考えたこともなかったのですが、昨年末、ふと
確かほぼ同じころに生まれたのではなかったかと思い調べてみました。

金子文子、1903年〜1926年。

金子みすず、1903年〜1930年。

生年は一緒でした。

もちろん、置かれた環境は違っていたのですが、時代への感受性という
意味で、彼女たちの鋭敏すぎる資質が、生きる空間を見失わせたという
ことができるように思います。
2005年1月5日(水)
男と女
今朝電車に乗っていてふと思い出しました。
昨年の年末、ITコーディネーターの集まりの後の飲み会でのことです。

仮にAさんとしておきます。

Aさんは丁度50歳ですが、年明け早々会社を辞めることが決まっている
とのことです。ITコーディネーター資格も、かなりの出費にはなっても
退社に備えての対策だそうです。

奥さんはどう言ってますか?関心は皆共通です。

Aさんいわく、
「そんなん金かけて取って、ほんまに金儲かるんかいな、金捨てることに
 なるんちゃうん!」
これが奥方の反応だったそうです。

Aさんは毅然として、男らしく、
「何ゆうてんねん、これはなあ、目先のことでゆうてるんやない、投資や」
と言ったそうです。

「投資て、そんなん先のことやん、辞めてすぐ金になれへんやん、あほくさ」

これで会話は途切れたそうです。

誰からともなく、男と女はやっぱりちゃうなあという声が上がりました。

一同納得する中で、まあ要するに、女は損益計算書しか見よれへんねん、
男は貸借対照表で物事を考えとるという発言があり、一同大いにうなずいた
のですが、決めは次の一言でした。

女には減価償却はわからん。(いくつになっても働けっちゅうこっちゃ、という
                   声が聞こえてきそうです)

これをお読みの女性の皆さん(もしいらっしゃればですが)、酔っ払いの
たわごととお聞きのがしくださいませ。
2005年1月4日(火)
ローマ人の物語
水害、地震ときて、最悪の津波で暮れた2004年ではありました。

こういう災害に対しては、言う言葉がありません。部外者が何を言った
ところで、当事者にとっては具体的に何か助けになることをできる
人だけが必要だからです。

米軍も自衛隊も、イラクのことはイラクの人たちに任せて、即刻
被災地の救援活動に回ると言うわけにはいかないものでしょうか?

ここ数日、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んでいます。

カエサルのとこまでは大分前に読んでいたのですが、長らく中断
していました。アウグストゥスの巻が文庫になったので久しぶりに
再開しました。

パクスロマーナは、ローマの軍事力による世界支配ではなかったこと、
ガリア征服以降のローマは、基本的に防備のための軍事力を保持した
こととか、課税の仕組みのシンプルさとか、現在でも十分参考になる
ことが沢山書かれています。

確かに米国とのアナロジーを感じるところも沢山あるのですが、現在の
馬鹿ブッシュの政策と言動を見ていると、2000年前のローマの
権力者の賢さが際立ちます。

言い古されたことですが、科学技術の進歩ほど、人間の考えることは
進歩していないということを、本当に実感させられます。
2005年1月3日(月)
正月
30日から帰っていた娘一家5人が、昨日娘婿の実家に移動し、今朝は
家人と二人の静かな正月である。

一卵性双生児とはいっても、4歳にもなるとそれぞれの好みが明確に
なってくる。ひとりはパズルとか文字が大好きな左脳型、もう一人は
絵を描き始めたら2時間くらいは熱中し、音楽が鳴り始めれば体が
勝手に動くと言う、典型的な右脳型である。

3人目もようやく片言が始まり、徐々に人間らしくなってきた。

元日の夜は、娘婿と長男を相手についつい深酒をしてしまった。

ワイン、日本酒、焼酎と、家にある酒を飲み散らかし、しゃべり
散らかして、娘から「うるさくて子供が目を覚ます」と怒られ
ながら、結局明け方5時ごろまで飲んでしまった。

翌日も普通に飲めたから、今年は体調が良さそうである。

2005年1月1日(土)
新年おめでとうございます
新年おめでとうございます。

昨年はサラリーマンを辞め、おぼつかない足取りで新しいことを始め、
不安一杯の9ヶ月でした。

しかし、その中で様々な人たちとの出会いがあり、今までは伺い知れ
ない世界を知ることができました。そして、世の中には自分の頭脳と
知恵で、しっかり自立して生活している人が沢山いることに気づかされ
ました。

そして平川克美さんの著書との出会いです。

私が心密かに考えてきたことの裏づけをもらったような気持ちです。

今年は、人の役に立つ、人に喜んでもらえることが、十分ソロバン
に合うということを、実践で確かめてみたいと考えています。

具体的なプランは現在構築中です。

いずれ近いうちに公表し、皆さんのご批判をいただきたいと考えて
います。その節はよろしくお願いいたします。

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