伝説の日本シリーズ4連投4連勝

〜血染めのボール・杉浦忠〜

 

 

 

 杉浦  忠
 
 昭和10年9月17日生 愛知県出身
 豊田西高校−立教大学−南海ホークス(昭和33年〜45年)
 昭和61年から南海ホークス監督
 通算 577試合登板 187勝106敗 防御率2.39
 
 昭和34年には、38勝4敗防御率1.40を記録、日本シリーズ4連投4連勝は今でも語り草。平成13年11月11日急逝

 

 シリーズ史上初のストレート勝ち

 昭和34年10月31日、その日快晴。雌伏10年、念願の日本一を手中にした南海ナインが御堂筋パレードを行った。沿道を埋めた歓迎の人波20万...。ビルの窓から紙吹雪が舞った。
 
 日本シリーズ5回目の対決となった宿敵巨人に4連勝。史上初のストレート勝ちを収めた鶴岡・南海。
 エース杉浦の快腕が南海の悲願を達成させたといっても過言ではない。
 
 全試合37イニング中、32イニングを投げ抜いての4連勝。南海ホークス50年の歴史のなかで、語り草となる名勝負は多いが、これほどファンを魅了し、胸のすく思いをさせた快挙は、これをおいてほかにないであろう。
 
 この年、南海はチームの大型化を図って4年目、その成果は実を結び、加えて38勝を挙げた杉浦を陣頭に押し立てて宿敵・巨人と対戦したのであった。
   
 戦前の予想は、6分4分で巨人優勢の予想。
 
 だが、鶴岡監督は、"杉浦というスーパーピッチャーがうちにはいた。負けるなんて思ってもいなかった。"と当時を振り返っている。
 
 10月24日のシリーズ第1戦、南海は当然エース杉浦忠が先発。一方、水原監督率いる巨人はエース藤田元司をはずし、義原を起用した。
 結果は、初回南海が5安打を集めて一挙5点、その後も巨人投手陣をメッタ打ち、終盤巨人に追い詰められたが10−7で逃げ切った。
   
 先勝で気をよくした南海は、第2戦先発の田沢が初回長嶋の2ランホームランで沈んだものの、4回には巨人の先発藤田に4安打を集中してゲームをひっくり返すと、5回から杉浦をマウンドに送り2連勝。
 
 舞台を後楽園球場に移した第3戦は杉浦−藤田のエース対決となった。
 2−1でリードの9回裏、坂崎に同点ホームランを打たれ、続くピンチの場面で森のサヨナラ犠牲フライと思われた打球を大沢啓二が好捕、好返球し、3塁ランナー広岡達郎をホームで刺した。
 
 ピンチの後にはチャンスあり、続く延長10回表、四球の野村が寺田の放った右中間2塁打で長駆ホームイン。
 その裏、長嶋をショートフライに打ち取り初の日本一へ王手をかけた。



 「思いっきり泣きたい...」の名セリフ

 「こんな試合だから無理を承知で投げさせている」(鶴岡監督)エース杉浦。
 これで3連投、試合途中から右手中指の血マメはついに破れた。もう限界...。
 
 だが、続く第4戦は雨で流れて、丸1日鋭気を養った杉浦は、次の日も先発し、9回109球を投げ切り3−0で見事完封勝利を飾った。
 
 全国のファンの目を見張らせた恐るべき右腕。興奮冷めぬ試合後、杉浦は静かにこう語った。
 「一人でいたい。そして、思いっきり泣きたい。今優勝の感想は?と聞かれてもピンとこない。」



 伝統に支えられた栄光の南海ホークス。
 
 杉浦が活躍した昭和34年は、大阪が、そしてホークスが最も輝いていた時代かも知れない。
  この杉浦の熱投は、日本一を目指してセ・パの両雄が激突する毎年秋にはプロ野球を愛する人々の間で永遠に伝説として語り継がれていくことであろう。