南海ホークス50年栄光の軌跡

    〜The Glorious History of Nankai Hawks〜

 


 

昭和13年(秋)11勝26敗 3分.297 8位 監督:高須一雄
  3月29日、日本職業野球連盟に加盟承認。8月3日球団創立。
連盟加盟は9球団。
    8月27日、秋季リー グ開幕。公式戦初試合は、3−4で巨人に惜敗。
昭和14年   40勝50敗 6分.444 5位 監督:高須一雄・三谷八郎
  中モズ球場完成。
鶴岡一人(法政大)入団。主将3塁手でデビュー。本塁打王(10本)に。
昭和15年   28勝71敗 6分.283 8位 監督:高須一雄
  鶴岡主将応召。打力不振で8位に転落。
昭和16年   43勝41敗    .512 4位  監督:三谷八郎
  リーグ加盟初の4位。
昭和17年   49勝56敗    .467 6位  監督:三谷八郎
昭和18年   26勝56敗 2分.317 8位 監督:高田勝生・加藤喜作
昭和19年   11勝23敗 1分.324 6位 監督:加藤喜作

  チーム名を「近畿日本」と改称。
戦争激化で加藤新監督以下登録メンバー15名。
     9月以降は、応召続出でチーム編成不可能となり、阪急との連合軍を編成。岡村俊昭外野手.369で首位打者に。
昭和20年
  戦争激化のため、公式戦中止。
1月1日〜5日、在阪4球団を2チームに分けて正月大会。(戦前最後の試合)

昭和21年   65勝38敗 2分.631 優勝 監督:山本一人

  プロ野球復活。
チーム名を「近畿グレートリング」と改称。山本(鶴岡)一人監督兼内野手誕生。
  初優勝。ペナントレース最終日に決まる。
昭和22年   59勝55敗 5分.518  3位 監督:山本一人
  チーム名が元の「南海」に戻る。
別所昭(毅彦)投手、30勝で最多勝利投手に。
昭和23年   87勝49敗 4分.640 優勝 監督:山本一人
  2度目の優勝。
最優秀選手・山本、最優秀勝率投手・別所。河西3年連続盗塁王。
昭和24年   67勝67敗 1分.500 4位 監督:山本一人
 
 エース別所、巨人に引き抜かれ、戦力低下で4位。木塚忠助初の盗塁王。

昭和25年   66勝49敗 5分.574 2位 監督:山本一人

  パシッフィク、セントラルの2リーグ制となり、南海はパ・リーグに加盟。9月12日大阪スタヂアム開場。
昭和26年   72勝34敗 8分.750  優勝 監督:山本一人
  2リーグ制初の優勝(通算3回目)。
日本シリーズでは、巨人に敗れる。
     7月18日、大阪球場の初ナイター。
昭和27年   76勝44敗 1分.633  優勝 監督:山本一人
  1ゲーム差の接戦で毎日を降して2連覇。

   日本シリーズでは巨人に連敗。対東急戦でプロ野球史上初の毎回得点を記録。
昭和28年   71勝48敗 1分.597 優勝 監督:山本一人
  3連覇。
だが日本シリーズで巨人の壁を破れず。
昭和29年   91勝49敗    .650 2位  監督:山本一人
   
0.5差で西鉄に初優勝を奪われる。
     8月22日から9月21日まで、18連勝のプロ野球新記録。新人・宅和快投。
昭和30年   99勝41敗 3分.707 優勝 監督:山本一人
  2年ぶりに優勝。
日本シリーズでは、巨人に王手をかけながら惜敗。
  99勝はプロ野球最多勝利記録。
昭和31年   96勝52敗 6分.643 2位  監督:山本一人
  初の海外キャンプ(ハワイ)。西鉄に再び0.5差で敗れる。
昭和32年   78勝53敗 1分.595 2位  監督:山本一人
  野村初の本塁打王(30本)に。
昭和33年   77勝48敗 5分.612 2位  監督:山本一人
  山本監督就任1000勝目をあげる。オールスター戦まで11ゲーム差をつけながら西鉄に逆転優勝を許す。
  立教大学から杉浦忠投手入団。27勝12敗、防御率2.05の好成績で新人王に。
昭和34年   88勝42敗 4分.677 優勝(日本一) 監督:鶴岡(山本)一人 
  4年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズで杉浦4連投4連勝の快投で宿敵巨人を倒して初の日本一。
  念願の御堂筋パレード実現。
昭和35年   78勝52敗 6分.600 2位  監督:鶴岡一人
昭和36年   85勝49敗 6分.629 優勝 監督:鶴岡一人
  東映とデッドヒートの末、8度目の優勝。
日本シリーズ代4戦で円城寺主審の「誤審」事件。巨人に敗れる。
   広瀬初の盗塁王。
昭和37年    73勝57敗 3分.562 2位 監督:鶴岡一人
  5月26日、鶴岡監督休養(代理監督・蔭山)、8月8日復帰。
昭和38年    85勝61敗 4分.582 2位 監督:鶴岡一人
  野村52本塁打の日本新記録。
昭和39年    84勝63敗 3分.571 優勝(日本一) 監督:鶴岡一人
  9度目の優勝。阪神と対戦した日本シリーズは、スタンカの快投で4勝3敗。5年ぶり2度目の日本一に輝く。
昭和40年    88勝49敗 3分.642 優勝 監督:鶴岡一人
   2連覇達成。
日本シリーズでは巨人に敗戦。野村戦後初の3冠王に。
   
鶴岡監督辞意表明したが、蔭山新監督の急逝により復帰。鶴岡一人野球殿堂入り。
昭和41年    79勝51敗 3分.608 優勝 監督:鶴岡一人
  リーグ3連覇。
日本シリーズでは巨人に連敗。
昭和42年    64勝66敗 3分.492 4位  監督:鶴岡一人
昭和43年    79勝51敗 6分.608 2位  監督:鶴岡一人

  広瀬400盗塁、野村400本塁打達成。鶴岡監督辞任。後任に飯田コーチ昇格。
昭和44年    50勝76敗 4分.397 6位  監督:飯田徳治
 
戦後初の最下位に沈む。飯田監督責任をとり、わずか1年で辞任。
昭和45年    69勝57敗 4分.548 2位  監督:野村克也
 
野村捕手兼監督誕生。シンキングベースボールを旗印に2位に躍進。野村2000本安打達成。
昭和46年    61勝65敗 4分.484 4位  監督:野村克也
  広瀬500盗塁、野村500本塁打の日本記録樹立。
昭和47年    65勝61敗 4分.516 3位  監督:野村克也
  広瀬2000本安打達成。
昭和48年    68勝58敗 4分.540 優勝 監:野村克也(前期:優勝、後期:3位)
  2シーズン制となり、前期優勝。プレーオフで阪急を降して優勝。
日本シリーズは1勝4敗で巨人に敗れる。
昭和49年    59勝55敗16分.518 3位  監督:野村克也(前期:4位、後期:2位)
昭和50年    57勝65敗 8分.467 5位  監督:野村克也(前期:5位、後期:3位)
  パ・リーグで指名打者制実施。
昭和51年    71勝56敗 3分.559 2位  監督:野村克也(前期:2位、後期:2位)
   阪神から江夏をトレードで獲得するも、野村監督の骨折などで阪急に前後期完全優勝を許す。
昭和52年    63勝55敗12分.534 2位  監督:野村克也(前期:2位、後期:3位)

   広島から、金城投手、ホプキンス内野手を獲得し健闘するも前期あと一歩で阪急に優勝をさらわれる。
   シーズン終了を待たず公私混同を理由に野村監督解任。江夏、柏原の投打の主軸も放出。
昭和53年    42勝77敗11分.353 6位  監督:広瀬淑功(前期:6位、後期:6位)

   泥まみれの野球をスローガンに名門復活を目指すも、大幅な戦力ダウンで前後期とも最下位。
  長期にわたる深刻な低迷期がこのシーズンから始まることとなる。
昭和54年    46勝73敗11分.387 5位  監督:広瀬淑功(前期:5位、後期:6位)

  
春季キャンプで、主砲・門田がアキレス腱断裂のアクシデント。この年も5位に低迷。
昭和55年    48勝77敗 5分.384 6位  監督:広瀬淑功(前期:5位、後期:6位)
  
甲子園の人気者・ドカベン香川入団、初打席・初ホームランの離れ業。 
    前期の一時期、首位に立つも終わってみれば通算最下位。浮上のめど立たず広瀬政権3年で幕。

昭和56年    53勝65敗12分.449 5位  監督:D・ブレイザー(前期:5位、後期:6位)

 
  ブレーザー監督就任、シュルツ、ウォーリー与那嶺の外国人首脳陣で話題をふりまく。
   門田、7月に月間16本塁打の日本新記録。
昭和57年    53勝71敗 6分.427 6位  監督:D・ブレイザー(前期:5位、後期:6位)
  
THINKING BASEBALL(シンキング・ベースボール)で名門復活を目指すも戦力整わず下位低迷。
昭和58年    52勝69敗 9分.430 5位  監督:穴吹義雄
  
熱血漢・穴吹監督が二軍監督から昇格。
   甲子園優勝投手の畠山をはじめ、藤本、大久保ら有望な高校生投手を補強。

昭和59年    53勝65敗12分.449 5位  監督:穴吹義雄
  
西武戦での健闘が話題となるも、力不足は否めず5位に低迷。
昭和60年    44勝76敗10分.367 6位  監督:穴吹義雄
  
Aクラスの壁は厚く、穴吹政権も3年で幕。シーズン終了後、切り札エース・杉浦が監督として登板。
昭和61年    49勝73敗 8分.402 6位  監督:杉浦忠

  
門田通算400本塁打達成。巨人、阪神、阪急に次ぐチーム3000勝を記録。
昭和62年    57勝63敗10分.475 4位  監督:杉浦忠
 
 若手選手の台頭で、夏場まで首位戦線を沸かせ、来シーズン以降に期待が膨らむ。
   加藤英、門田、相ついで2000本安打達成。史上2位の観客動員数を記録。
昭和63年    58勝71敗 1分.450 5位  監督:杉浦忠
  球団創設50周年。
記念イヤーも開幕からよもやの7連敗。4月末には、川勝オーナー逝去。
   門田、不惑の40歳にしてMVP、本塁打王(44本)、打点王(120打点)の"3冠"を獲得し、ホークス50年に有終の美を飾った。