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リストマーク潮合唱団

 壺井栄原作『二十四の瞳』は“おなご先生”である大石先生と教え子達との純真な話だ。この物語を有名にしたのは木下恵介監督、高峰秀子主演の映画化に拠るところ大で、遠い昔にその映画を涙して見た記憶がある。我が人生をこの『話』になぞらえて苦笑禁じ得ないが、平和で豊になった平成の今、我が三重県の田舎街にもこれに似た話があるとすれば、それは我が青春編の一幕と還暦を過ぎた老春編の二幕で成り立つ「潮合唱団」である。

 私が地元の中学に入学したのと同時期に新進気鋭の綺麗な“おなご先生”が音楽教師として赴任された。他の中学へ転出されるまでの一年半の間に教わった先生と我等生徒の間の絆はそんじょそこらのものではなく、翌年にはコ−ラス好きの野郎達による「潮男声合唱団」が発足した。地元で発表会やら演奏会を続けるも一年経ち二年も過ぎると教え子達は進学するなどして日本各地に志を求めて巣立って行き、「潮」の名が徐々に人の口に上らなくなったのは自然の成行きであった。その後先生は音楽を通じて幾多の功績を挙げられ三重平成文化賞を受賞されるなど御活躍。一方散り散りになった教え子達は一部音楽の道に進んだ俊英もいる傍ら戦後日本経済の担い手となり、ある者は鉄鋼屋、ある者は食品屋、自動車屋、銀行屋、・・・等々夫々の立場で猛烈な働き蜂となって精励恪勤。目出度く還暦を終えた面々がポツリポツリ故郷に帰って来てついに「潮」が再結成されたが、発足した経緯もあり純粋培養だけのメンバ−で再構成されている。世の中に幾多のコ−ラス団体があろうともこのような例は聞いたことが無く恐らく唯一無二であろう。

 再結成以降数多くの大きなステ−ジに立っているもののコンク−ルなどで覇を競うなどは「潮」には馴染まない。元より音楽好きの面々だけにより美しいハ−モニ−を求めて厳しい練習を重ねているが、音楽至上主義で技術向上だけを望むよりも学校やら病院などを訪れ“元気印”をお届けして喜んで頂けることこそ「潮」の本意である。青雲の志高く青春真っ只中の母校の中学で歌えることは“今まで我が歩んできた道”であり、病院の患者さんの前で元気印をお届けするのは“今から我が歩もうとする道”なのだ。コ−ラスという手段を通じて人に勇気と喜びを与えるのが文化という目的ならこれ以上の音楽活動はあるまい。

『二十四の瞳』の最後は“おなご先生”を囲んで同窓会を開くところで物語は終わっている。同窓会に出席した教え子は二十四の瞳から十の瞳に減ったが戦争で悲惨な死をとげたり苦労を重ねたあげくの結果だ。壷井栄は先生と生徒との絆を謳うと同時に平和の有り難さこそ伝えたかったのである。平和な時代の「潮」とて当時のメンバ−から幾多の瞳を亡くしている。平和をかみ締めつつ三重県版の“おなご先生”と頭に白いものが目立つようになってきた“教え子達”とのコ−ラスを通じた人間ドラマはまだまだ続いている。




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