観世音寺(かんぜおんじ)
第九十一番
寺名 観世音寺
山号 清水山(せいすいざん)
宗派 天台宗
所在地 福岡県太宰府市観世音寺
梵鐘(国宝)、仏像17件(重要文化財)
SPOT
開基は天智天皇。九州を代表する古寺で、造営開始は7世紀後半にさかのぼる。
東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒壇」のひとつとされ九州随一の仏像彫刻の宝庫である。
写真は宝蔵内。
像高5メートル前後の巨像3体(右から不空羂索観音、馬頭観音、、十一面観音)が並ぶ姿は圧倒的迫力である。一番左は聖観音。
千年以上前の人にとって、この巨大さは衝撃的だっただろう。
他には、下記で紹介する大黒天等々。館内に放送が流れて、ひとつひとつ丁寧に解説してくれる。
戒壇院は、ここ


Snap shot
大黒天
平安時代。大黒天像としては日本最古に属する。
福徳神としての大黒天像と異なり、険しい表情だ。
門前の石造寺標
参道 クスノキが一杯 講堂
本堂。元禄元年(1688)再建
金堂
寛永8年(1631)再建
石臼(てんがい)
花崗岩、直径約1m、厚さ上下合わせて約55cm。
家畜に引かせたのだろう。
宝蔵 五重塔心礎
1064年に消失。一辺6m前後だったと思われる。
鐘楼 梵鐘(国宝)
残念ながら出張中。日本最古の梵鐘の一つ。無銘であるが、妙心寺の鐘と同じ木型を用いて鋳型を造った兄弟鐘と推定されている。妙心寺の鐘と並んで展示される展覧会に出展中。
【日本最古の梵鐘】京都・妙心寺(法堂の中にある)、奈良・当麻寺
僧坊跡 礎石のみが残っている 伝玄ムの墓
高さ98cm。境内から少し離れた田圃の中に、ひっそりとある。
高僧であり奈良の海龍王寺の開基であったが、観世音寺に左遷された。

戒壇院
元は、観世音寺の権威を示した戒壇院だが、今は別法人。
中央は留舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう)、脇持は文殊菩薩と弥勒菩薩。

戒壇(かいだん)とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所を指す。
戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになる。
鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが最初の戒壇である。その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いた。
天下の三戒壇とは、中央戒壇(東大寺)と東戒壇(下野薬師寺)、ここの西戒壇(さいかいだん)。

本堂 戒壇
高さ約50cm。5m四方。花崗岩。
天竺(インド)・唐(中国)・大和(奈良)三国の土が納められている。
鑑真像 観世音寺側からの門
西戒壇の表示 鐘楼
江戸時代に博多の酒醸造業で財をなした楠屋白木玄流の遺言により寄進された。
菩提樹
鑑真が唐から請来したものと伝えられる
石造五重塔と鑑真の供養塔(五輪塔)
惣門 門前 「不許葷酒肉入境」の石碑
肉や酒は修行の妨げと言うことです。



朱印

五木寛之の一言
寺は"民族の記憶のライブラリー"だと思う。
この太宰府、そして観世音寺には、まさにそうした日本人の記憶の集積がたくさん詰まっている。
人間が根源的にもつ傲慢さと卑小さ、その間にゆれ動く心理というものを、巨大な仏像群とともに見ることができたという気もする。
kazu_sanの一言
戒壇院には寺務所の受付は見当たらない。

外から中を覗くのが普通の参拝のようだが、たまたま、堂内から声が聞こえる。
ソウル大学の先生方が来られていて、住職が案内中であった。
京都が大好きと言うお寺の女性の方の機転で、堂内を一緒に見させて頂いた。大阪から来たと言うと、取材ということで写真撮影も許可。住職にもご紹介いただき朱印を頂けた。
住職は神戸・三宮のご出身、お話もしていただいた、ソウル大学の人達は、その間待っていただいたにも関わらず、一緒に、お茶も頂きましょうと声をかけて頂いたが、さすがに遠慮したら、私達にもお茶を入れてくれた。

幸先のいい、九州の旅のスタートである。

みなさんの温かい気持ちに、ありがとうございました。


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