昭和62年7月17日、
肝細胞ガンのため
ス−パ− スタ−
裕次郎が
52歳で
逝った
夢のとなりに、いつもあなたがいた

いつの頃か。あなたは突然わたしたちの前に現れて
さっそうと大股で歩いていった
あなたに出逢うことは幸福な出来事を手にすることだった

限りなく強いものではなく
あたたかいものを
わたしたちはヒ−ロ−と呼ぼう  裕次郎さん

あなたの栄光を、そして愛を、いつまでも
WE LOVE YOU FOREVER

(裕次郎記念館のテレホンカ−ドのメッセ−ジから抜粋)
1999年9月初稿


目次
23回忌
石原裕次郎二十三回忌 特別記念品 ブログ
社長、命
おはぎ
裕次郎1
テレビ朝日開局45周年スペシャルドラマ「弟」
メモリアル
17回忌
13回忌

「石原裕次郎23回忌 記念入場券」
表紙「右、表  左 裏」 中  5枚の入場券が入っている
販売場所 小樽駅
23回忌に合わせて、2009.7.11から販売中。
入場券の拡大


小樽駅4番ホームの裕次郎のパネル
2003年に設置されたようだ。
北海道に遊びに行った息子が撮影2010.9
記念入場券はお土産だった。
小樽は裕次郎が3歳から9歳まで過ごした思いでの地 「おれの小樽」と言う名曲があります。
上 夜の小樽駅  下 小樽運河


23回忌 天国からのラストメッセージ
「ありがとう」
石原裕次郎の23回忌法要が2009.7.5に国立競技場で営まれた。
写真は国立競技場に特設された菩提寺の総持寺を模した「裕次郎寺」。
午後7時撮影。参列者が、まだまだ続く。
今回の写真は、お母様が裕次郎の大ファンだというY・Kさんが送ってくれた。
参列者数 11万6862人(当日22時まで)。法要セレモニー参加者 3万4945人。
総持寺僧侶 120人。献花台の長さ 前列30m 後列50m。両サイドの巨大写真は 縦10m横3m
何もかもが、壮大。史上最大の作戦。天国の裕ちゃんに届いたでしょう(合掌)
裕次郎寺を横から
入場したら一旦、ここで待機
スタンドがいっぱいになり、座れず。子連れだったので、みなさんに親切にしてもらい、なんとか座れました。
入場整理券
整理券に書いてある番号のゲートに向かうのですが、これがごった返し!
番号ごとに集まって歩くのですが、すごい人で何が何だかわからなくなります。
 
ありがとうの 幟が一杯
渡さんが「太陽の日差しが強くなる季節。何年経っても、石原が話しかけ、問いかけ、見守ってくれていることを強く感じる季節でございます。22年たった今なお、多くの方がしのんでくださる気持ちが本当にありがたく、感謝でいっぱい」
その後、スタンドのファンと一緒に、天国にいる裕次郎さんに声を届けようと「裕ちゃーん」と3回叫んだ。涙が出ますね。
場内
献花へ向かうためにグランドへ向かいます。途中、ポカリの無料配布がありました。
大型ディスプレー
常に裕次郎。BGMもかかっています
献花
カーネーションでした
記念品受取所 入り口
写真のコメントはY.・Kさんのメールを参考にさせて頂いています。
記念品
芋焼酎「一刻者」(宝酒造)の特別醸造ボトルと写真集「昭和の太陽 石原裕次郎」のセット。
事前にハガキで応募。私も出しましたよ、家族5人分。
当選5万人。応募総数75万通。まだまだ裕ちゃん人気は高い。
Y・Kさんは見事に一通当選。
はがきを持っている人しか、記念品受取所まで行けません。
当選はがきのチェックがあります。
赤外線にはがきをかざして、何かをみてました。
当選ハガキ

偽造防止が施されているようです。
記念品 記念品の一刻者
"おーい みんなどうしてる。
俺は あいかわらず 天国でも 飲んでるぜ
 石原 裕次郎"
Y.・Kさんからは、「開けることのない「お酒」です!」
とコメントがありました。
たくさんの写真ありがとう。




社長、命 石原裕次郎 デビュー50周年記念特別出版
元、石原プロ常務の金宇 満司(かなう みつじ)氏の本が出た。
初版2006.1.23
カメラマンとして撮影監督として、裕次郎に仕えた人だが、裕次郎が病に倒れて、その介護のために、カメラの仕事をやめ、家族とも離れて、2250日を裕次郎に尽くした記録である。
○○命とは、良く聞く言葉ながら、これこそ、まさに「命」である。

ますます裕次郎が好きになる本です。
飾る言葉で書かれている訳ではないが胸を打つ、そこに人間.裕次郎が記されているから。
離れて住む家族と、石原家との心の籠もった交流もある。

唄って 友よ 男の唄を
いつだって人生は
今から 今から 出発!
道はいつでも険しい事は知っている
しかし俺たちは歩く
夢に 夢に むかって


石原プロの社歌の一部
(なかにし礼作詞、浜圭介作曲、羽田健太郎編曲)
この本は、奥様のまき子さんの介護の記録の本。
今回、思い出して本棚から引っ張り出した。もう絶版とのこと。
現在、復刻版(表紙の絵が違う)と文庫が出ているようだ。
初版1988年7月17日。私が持っているのは、131版1988年8月5日の奥付がある。よく売れたのだな〜。


おはぎ
石原軍団のおはぎ
このHPを見たY.・Kさんが、「裕さんのオハギて知ってる?」と聞いてくれた。知らないと言うと、三越.日本橋店で買って来てくれました。
サザエ食品の十勝おはぎ(写真)三越の袋付き。
石原軍団の差し入れは常にこれだそうです。
甘さは適切、もちっとした食感はすごい。
北海道十勝産の小豆と北海道のモチ米を使っているそうです。
ごちそうさまでした。2005.10



裕次郎1

裕次郎デビュ−50周年特別企画として「裕次郎1」というCDが発売された。
早速予約して購入した。
予約時の話しは、ブログ石原裕次郎1をご一読ください。

見開き 表紙 布張り

命日の2005年7月17日発売。完全予約制。定価5800円
左側が切手シ−トです。レコ−ドジャケットの写真の80円切手10枚付いています。
【収録曲目】
1. 狂った果実
2. 俺は待ってるぜ
3. 錆びたナイフ
4. 銀座の恋の物語
5. 赤いハンカチ
6. 夕陽の丘
7. 俺はお前に弱いんだ
8. 二人の世界
9. 夜霧の慕情
10. 夜霧よ今夜も有難う
11. 粋な別れ
12. 北の旅人





テレビ朝日開局45周年スペシャルドラマ「弟」 

原作 ドラマ

2004年11月17日から5夜連続放送
脚本 ジェ−ムス三木
監督 若松節郎
制作 テレビ朝日、石原プロモ−ション
素晴らしい感動を与えてくれたドラマであった。原作は単行本が出た時に、すでに読んでいた。裕次郎を囲む男達のドラマ、人間裕次郎のスケ−ルの大きさを実感出来る。お互いに「おまえによって俺の人生は作られてきた..」という理想の兄弟愛。生きるていうこと、死ぬということを考えさせられる。
渡哲也が父親役と45歳からの慎太郎役の2役を好演。母親役の高島礼子も良かった。67歳からは池内淳子に交替したが、続投して欲しかったのはボクだけ(笑)まき子夫人役は、仲間由紀恵と松坂慶子と、これは文句のつけようのない美女が配役。肝心の裕次郎は、43歳から三浦友和。荷の重い役ながら、時々似ていてドキットする。よくやった、ごくろうさんという感じ。壮年期の小林正彦を演じた大杉漣ははまり役。これらの配役を考えた人はスゴイな〜。



裕次郎 全生涯のメモリアル  (ドラマ弟より)
出来事
1934 0歳 12月28日 石原潔・光子夫妻の次男として神戸市須磨区に生まれる
1941 7歳 小樽市稲穂国民学校に入学。
1943 9歳 兄・慎太郎と同じ逗子国民学校に転入。
1945 11歳 8月15日 太平洋戦争敗戦。
1947 13歳 町立逗子中学校に入学。
1950 16歳 慶応義塾高校に入学。父からプレゼントされたトレンチコートを着て、横須賀線で通学する姿が女子高生の憧れの的となる。
1951 17歳 父の死と、オリンピック選手を目指し打ち込んでいたバスケットを左足骨折で断念したという、度重なるショックから酒と麻雀に走る。
1953 19歳 慶應義塾大学法学部入学。
1956 22歳 「太陽の季節」の映画化で、学生言葉とヨット指導で製作に参加。プロデューサーの水の江滝子の目にとまり、主人公の友人役で出演する。好評を得て「狂った果実」で本格デビュー。憧れの女優・北原三枝と運命的な出会いをする。
1957 23歳 3月 慶応義塾大学を3年で中退。
10月 「俺は待ってるぜ」が160万枚の大ヒット。
12月 「嵐を呼ぶ男」が3億5600万円の配収を上げる空前の大ヒット。
1958 24歳 2月 前年の「勝利者」等でブルーリボン新人賞を受賞。
6月 東京・成城一丁目にプール付きの豪邸を新築。
1959 25歳 3月 連日のハードスケジュールのため心身ともに疲れて2週間の失踪騒ぎを起こす。
7月 「世界を賭ける恋」で日本映画界初の北欧ロケに出発。
1960 26歳 1月 北原三枝と米に脱出。
2月 北原三枝と米から帰国。羽田空港は報道陣とファンでパニックに。
12月2日 日活ホテルで北原三枝と挙式。「闘牛に賭ける男」を最後に北原三枝引退。
1961 27歳 1月 「銀座の恋の物語」が空前の大ヒット、270万枚の売上。
1月 志賀高原でスキー中に右足複雑骨折、全治8ヵ月。「激流に生きる男」の代役に起用された赤木圭一郎がゴーカート事故で急死する。
1962 28歳 10月 「赤いハンカチ」が発売と同時に大ヒット。240万枚の売り上げ。
12月28日 28歳の誕生日に、石原プロモーション設立記者会見。
1963 29歳 1月16日 (株)石原プロモーション設立。資本金3000万円、社員9名。
6月 ヨット「コンテッサV」進水。
10月 「太平洋ひとりぼっち」が第18回芸術大賞、ブルーリボン企画賞受賞。
1964 30歳 7月 「素晴らしきヒコーキ野郎」(米20世紀FOX映画)出演のため渡英。
10月 三船敏郎の三船プロと製作提携を発表。
1965 31歳 5月 テイチクより「二人の世界」を発表。テレビ「歌謡ベスト10」で20週間トップに。
7月 トランスパシフィック・レース(太平洋横断ヨットレース)出場。
9月 芸能生活10周年記念全国リサイタルで24都市を巡る。
*この年渡哲也デビュー。−運命の出会い
1966 32歳 3月 石原プロのテレビ番組「バラエティー・すてきな仲間」がスタート。
1967 33歳 5月 三船プロとの合作で「黒部の太陽」の製作発表。だが五社協定のため企画進まず。
7月 「黒部の太陽」クランクイン。
9月 トンネルセットで人工濁流撮影中に事故発生、裕次郎ら20人の俳優・スタッフが負傷。
1968 34歳 2月 「黒部の太陽」公開。観客動員数733万7000人、この年の日本映画最高を記録。また五社協定を打ち破った記念碑的大作となった。
5月 昭和42年度芸能人所得番付で1位(申告所得5000万円)。
1969 35歳 1月 日活との契約が白紙になり、事実上フリーに。
7月 「栄光への5000キロ」が公開され大ヒット。
1970 36歳 6月 「ある兵士の賭け」が興行的に失敗。石原プロ倒産の危機に陥る。
1971 37歳 3月 胸部疾患(肺結核)で倒れ、秋田赤十字病院入院。
4月 国立熱海病院転院。11月まで長期療養。
1972 38歳 6月 復帰第1作「影狩り」では音楽も担当。
7月 日本テレビ系「太陽にほえろ!」スタート。
1973 39歳 2月 最後の主演映画「反逆の報酬」に渡哲也と共演。
7月 トランスパシフィック・レースに参加。
1974 40歳 2月 自宅階段で滑って左鎖骨骨折。
7月 宝酒造のCMに初めて夫婦で出演。
1975 41歳 5月 芸能人所得番付で再び1位(申告所得8000万円)
6月 NET系「石原裕次郎芸能生活20周年記念・太陽は今も輝く!」放映。
7月 トランスパシフィック・レースに参加。12月 2度目の「日本レコード大賞特別賞」受賞
1976 42歳 1月 日本テレビ系「大都会・戦いの日々」(石原プロ製作)スタート。
4月 最後の映画「凍河」に友情出演。
1977 43歳 4月 「大都会PARTU」スタート。
7月 アドミラルズ・カップ・ヨットレースに参加。イギリスのワイト島でまき子夫人と過ごす。
1978 44歳 2月 NHK「ビッグショー 石原裕次郎・男ひとり、気ままな夜」に出演。
6月 6枚組LP「石原裕次郎大全集」が発売され1ヵ月弱で1万5000セットが売れる。
12月1日 舌下に栗粒大の腫れ物ができ、除去手術。舌ガンだった。
1979 45歳 1月 退院後、経過が思わしくなく慶応病院に再入院。
9月 東大病院で再度レーザー除去。「大都会PARTV」終了。
10月 「西部警察」スタート
1980 46歳 2月 「ブランデーグラス」が110万枚のロングヒット。
1981 47歳 4月25日 背中と胸に激痛を訴え、慶応病院に運ばれる。解離性大動脈瘤と診断。
5月7日 生還率3%、6時間30分の大手術が成功
6月21日 病院屋上を散歩、ファンにあいさつ。
9月1日 退院、自宅療養。
1982 48歳 2月 静岡からスタートした「西部警察PARTU」全国縦断ロケに参加。
7月 パンナム・クリッパーカップレースに参加。
1983 49歳 2月 「西部警察PARTU」全国縦断ロケで福島に。
5月 石原プロ創立20周年記念パーティ開催。
1984 50歳 7月17日 原因不明の高熱。精密検査のため慶応病院に入院(1ヵ月前の定期検診で肝細胞ガンと診断されていた)。
8月23日 退院。9〜10月 ハワイで静養。
1985 51歳 5月 芸能生活30周年記念番組「石原裕次郎スペシャル」放映。
6月 神田正輝・松田聖子結婚、仲人を務める。
12月2日 結婚25周年(銀婚式)。
1986 52歳 5月8日 微熱が続き慶応病院入院。病名は「肝内胆管炎」と発表。
7月22日 退院。
9月 福井県芦原温泉で静養。
12月2日 ハワイで最後の結婚記念日を迎える。
1987 享年52歳 2月 ハワイで「わが人生に悔いなし」を収録。
4月20日 帰国後、慶応病院に入院。
5月2日 退院するが3日後に再入院。
7月17日 午後4時26分永眠。
1989 葉山・森戸海岸に石原裕次郎灯台建立。



石原裕次郎十七回忌

2003年7月17日が、もう十七回忌であった。
太っ腹石原プロダクションの十七回忌企画に応募したが残念ながら当選せず。
下記が当時の案内の一部、もちろん「栄光への5000キロ」で応募。
この映画は裕次郎の大きなスクリ−ンで見て欲しいという遺志により
今なお、ビデオにもならず、TVでも放映されたことがない。
3万人も当たるのだろうから、東京への旅費だけ心配していたのだが..。

何と、応募総数は、47万4694通。スゴイですね。

役に立たなかった、僕の応募葉書は、命日の日に、菩提寺の総持寺で
焼いてくれたそうです。ここら辺りの心配りが、石原プロダクションのスゴイところです。

石原裕次郎十七回忌特別シネマ「黒部の太陽」、「栄光への5000キロ」上映会ご招待
応募要項: 官製はがきに、郵便番号・住所・氏名・電話番号・年齢と映画「黒部の太陽」、「栄光への5000キロ」のうちご覧になりたい映画の題名を記入いただきご応募ください。
応募期間: 2003年6月2日(月)〜6月20日(金)
応募締切日: 2003年6月20日(金)当日消印有効
イベント公開日: 2003年7月9日(水)、10日(木)、11日(金)
イベント会場: 品川プリンスホテル・品川プリンスシネマ
当選者数: 7月9日、10日、11日 各日1万人、計3万人
賞  品:
1. 石原裕次郎十七回忌特別シネマ「黒部の太陽」もしくは「栄光への5000キロ」上映会ご招待
2. クリスタルボトルストッパー付き松竹梅「大吟醸」、焼酎「ZIPANG」裕次郎ボトルセットと、裕次郎十七回忌秘蔵写真集

上記の賞品2は、自力で確保。

これが当選者に配られた写真集。
定価1429円(税別)
これが、裕次郎ボトルセット。5800円。クリスタルボトルストッパ−がなかなかの優れもの、クリスタルの内部に裕次郎が刻まれていて、スイッチを押すと、上段の分は赤、下段の分は青のライトがつく。(右写真)
ファンには、これだけでも値打ち物だが、お酒は松竹梅が力を入れている「白壁蔵」の大吟醸−飲むのが楽しみ。
これがボトルキャップ。ズッシリとした。重量感がある。青の方は左写真の左足を上げているポ−ズの分が彫刻されている。(クリスタルレーザーを使ってクリスタル内部に彫刻を施している
ついでに、この本も買った。感動、感動ですね。

「青い春」と書いて、青春と読む。
だから、青春時代と言うと、若いときになってしまう。
でも、振り返ってみると、
僕はずっと 青春だったような 気がする。(石原裕次郎)

裕次郎の手帳が初公開されている。
「以前食欲なし」  が、絶筆である。
テレビの特集 2003.6.18
テレビ朝日開局45周年として「裕次郎 最期の真実」が放映された。
7時から9時42分。
【対談】
裕次郎の兄である作家・石原慎太郎氏、裕次郎のかけがえなき戦友で石原プロを継いだ渡哲也、そして裕次郎の熱烈なファンの北野武……。この3人が見た裕次郎の姿を、司会の徳光和夫が掘り下げていく。
【映画】
「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」の撮影裏話−面白かった。
【思い出話】
友人長嶋茂雄氏が石原邸にまき子夫人を訪ね、当時の思い出を語り明かす。
素晴らしい番組であった。


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石原裕次郎十三回忌法要 が
1999年7月3日(土)に大本山総持寺 (横浜市鶴見区2−1−1 )
において盛大に行われた。
当日の、参列者にお礼として、裕次郎の写真入りワインと日本酒が配られた。
当日、参列出来なかった人のために、ほぼ同じ内容のセット(ワインが少し違う)
が予約販売された。
7月5日に予約し、9月22日についに、「裕次郎」が、我が家にやってきた。

下の写真。

裕次郎を偲ぶ方は石原プロダクションのHPにどうぞ。
http://www.ishihara-pro.co.jp/


裕次郎メモリアルBOX

外箱の表.裏


ワインのラベル。裕次郎愛飲のワインと言われているゲノック(Guenoc)1997年カベルネ.ソ−ヴィニヨン。
本当のラベルはリリ−.ラントリ−という舞台女優であり、このワイナリ−の所有者であった女性の肖像画。下記写真。
清酒生酒。松竹梅

飲むことすなわちよろこび、よろこびのサ−ケ。松.竹.梅。
である。


このペ−ジの最初の写真は、テレホンカ−ドです。
北海道小樽市の石原裕次郎記念館で、息子が修学旅行の
お土産に買ってきてくれた物。
4枚セットで「ベスト.コレクション」。写真では分からないが番号が
入っています。「31394」3枚とも、同じ連番。ニクイですね。
でも、1枚が「14394」の連番。理由は不明。下3桁が揃っているから
これでいいのかな?



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